旦那は入院中
記憶がないながらも
私の事を探していたそうです
「ママ・・ママ・・」と

それを後から聞かされた時
罪悪感がより一層
心の中に広がりました

実際に私を見て
理解できるのかは
わからないけど
やっぱり身近にいた人を
あんなふうになっても
旦那はいてほしいと
思ったのか
いるのが当たり前だと
思っていたのか・・

妄想の中で何を見ていたのか
わからないけど
最後までそばにいるべきだった
という気持ちが
新たな後悔と罪悪感となって
私の心の中はいっぱいになった

3年という月日を経ても
それは消えない

過ぎていく年月の中で
消える事も忘れる事もできない

残された人が
誰しも抱えていく
悲しみは簡単には
なくならない

旦那の事を
こんなふうに
文字にして書く事は出来ても
未だに普通に笑ってなんて
話せない

それが身近にいた人の
死の意味なんだと思う

生きている人
残された人に
早く忘れて前に進まないと
って言うけど
一番その事を解っているのは
その人達

だけど心に抱えた気持ちは
簡単には消えないから
それを埋めるためにも
日々生きている

世の中には何億という人がいる
その中のたった一人が
いなくなっても
まわりは気付かないけど
身近な人、そばにいた人達は
心の中に
悲しみをしまい込んで
生きているんだと思う

誰にでもいつかは来る死

当たり前の事と
生きている私達は
頭では理解出来る

だけどそれは
生きられるから
考えられる想像のようなもの

一瞬でいなくなってしまう
そんな時
見送る人も見送られる人も
仕方ない事なんて
きっと思えない

命って儚すぎる
これほど尊いものだと
体中で感じた事はなかった



もう逢えないけど
またどこかで逢えるかもしれない
その時はいっぱい
話しがあるんだょ

何から話したらいぃか
わからないけど
とにかく全部話したい

言えなかった
二つの言葉も
いつか直接言いたい

お元気ですか?
相変わらず呑んでいるの・・


この曲も聴けなかった・・
でも明日からは
聴いても泣かない



そしてこれは
あの頃寝れなくて
何気テレビから流れてきて
見てたもの