私が命の尊さを
心で感じたのは
今までに3回ありました

その3回目は
元旦那の死

今日は命日なので
旦那への気持ちも含め
この日に書こうと決めていました

人はいつか死ぬ
そんなの当たり前の事と
頭では理解できてます

でも、ある日突然
一人の人がいなくなった時
その当たり前の事が
当たり前と思えなくなります

一番身近にいた人が
一緒に生活をしていた人が
ある日突然いなくなる

目の前の現実を信じようとしても
信じられない
それが3年前の私でした

一緒にいるのが嫌で
憎しみすらあったのに
新幹線で送っていく時
その感情は全て
逆に動き出していました

いざ離れて生活するとなると
何故か楽しかった頃の
想い出しか
頭の中に浮かんできませんでした

勝手すぎる
こんな感情は
誰でも抱くのだろうか・・
なんて帰りの新幹線で
思いながら泣いてた
あの日

その日からわずか
一ヶ月後に
旦那は一人逝ってしまった

いつものように
普通に寝て
そのまま目覚める事なく・・

この時から
大きな悲しみと共に
私の心の中は
罪悪感でいっぱいになりました

現実に起きた事を
受け入れられないのではなく
ただ信じられない
それだけの感情と
自分が旦那を殺してしまった
という気持ちでいっぱいでした

電話で母に
「私が殺しちゃったんだ・・」
と泣きながら言った事もありました

それは、そばにいれば
旦那は死ななかった
自分が放棄したから
病院に入っても
良くならなかった・・
旦那の人生の針を
進めたのは私なんだ

そんな気持ちしかありませんでした

だから旦那の姿を
毎日見ていたかった
誰もいなくなった家の中で
ビデオを毎日見て
「ごめんね」
と言うのが私の日課になっていた


信じられなくても
いないというのは
心のどこかで実感している

変な言い方なんだけど・・

そんな日々の中で
ある日聞いたひと言があります
         (つづく)

この曲は旦那が死んでから
聴けなかった一曲です