最後の晩餐の図像において,おそらく多くの人が不思議に思うのはヨハネ(福音書作者)がイエスの胸元で眠っているかに見える部分だろう。この部分は新約聖書では
「弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた」
となっているとの事である。映画「ダヴィンチ・コード」では,これがヨハネではなくマグダラのマリアではないかという珍説が出されているが,残念ながら,これは新約聖書の成立時期(4福音書は1c後半の50年頃に成立した)を考えると,不思議なはなしである。

 まず前提として,紀元も1世紀を迎えるとユダヤ世界にあっても,例えばアレクサンドリアのフィロンのように,少なくともギリシア語を自由に扱える階級ではギリシア・ローマ式の生活慣習が取入れられていた事を考えなければならない。

 まず,晩餐=夕食(ケーナ)はかなり改まった食事である(1。 この食事では朝食や,まだ必ずしも社会全体が食べる習慣ではなかった昼食のように,椅子やそこいらに座って食べる者ではなく,食事をする前に浴場に行ったりして身なりを整えてから相手先を訪れるモノである。また,共観福音書では過越の祭の食事会なので宗教的行事※1.でもある。
 イエスとその弟子たち,12使徒+ユダ+イエスと,14人も押し掛けられて,招待した主人は少々迷惑顔かもしれない。
この時代,饗宴での招待は
「運命の女神(3人)より多く,ムーサ(=芸術の女神,9人)より少なく」
と言われていた,これには実際的な理由があり,席を作るときテーブルを囲んで□に席を配置する事を考えると,3の倍数が望ましいという事になる。なお1列の席に多数の人を配置するのは,中央に置かれるテーブルに手が届かなくなり,また隣の人にぴったりとくっつく事になるので現実的ではない。(2.
この晩餐,
「汝らの一人我を売らん」とイエスが発言すると「(∩゚д゚)アーアーきこえなーい」とか,ユダが席を立っても周りはそれほど気にしていないなど,結構混乱気味に宴が進むのも,もう一つ別の席を作ったと考えると不思議ではなくなる。

さて,「み胸の近く…」とは具体的にどういった具合に席についていたのだろうか?写真はエトルリアの,しかも,時代も合わずに申し訳ないが,要するにこのような感じで,前がヨハネ,後ろがイエスといった配置になる。面倒なのは福音書作者は,上座にあたる3つの席のうち,いったいイエスはどこに身を横たえたと想定しているか?という事である。多くの民族では3つのうち中央が"王の席"として重きを置かれるが,そこにイエスが横たわったなら,ヨハネはイエスの前になるので,主賓の席でありかつ招待者の席の前という使途たちの中で最も年少者がつく場所ではない,ギリシア式の慣習であれば,向かって最も右手が重要だが,その前は王の席という事になる。やはり年少者がつくのは普通ではない。これがイエスを基準にして,イエスの背中側の胸の高さという事であれば,ローマ式の慣習であれば中央テーブルに面する三つの席のうち右側は下座になるのでヨハネの位置はここで確定,という事になるのだが…
 ヨハネとヨハネ福音書については相当高等批評で史的イエスを反映していないとよく言われているが,こういった所でもボロが出ているのである。※2
 習慣や慣習が忘れられると,近世までキリスト教で重要とされている場面でも,どう見ても不自然な形のまま表現しなければ走るしかなくなったりするのである。

なお,ダビンチ・コード,映画としてはナンセンスだけど面白かった事は付言しておきたい。

参考文献
(1.『古代ローマの饗宴』,エウジェニア・サルツァ・プリーナ・リコッティ,平凡社,1991
(2.『古代ローマの食卓』,パトリック・ファース著,東林書店,2007
※1.史実として見るのではなく,過越の祭りというめでたい時に,神との契約が別の契約に書換える,と読むべきだろう。
※2.史的イエスがどうであろうが,信仰上のイエス=キリストの重要性には関係がない事は,20世紀に開かれた公会議等で明言されている事は強調しておきたい。