
ドゥカティ400SSのシート用カバーをヤフオクで落札することが
できました♪
落札価格は5千円程なのですが、このカバー、新品での購入は
イタリアのドカ本社からでも、もうできないでしょう
部品というものは、クルマでもバイクでも、こうしたエクステリアなどのパーツなどから順に絶版となっていき、次にゴム関連の部品、最後には消耗品関連ですら、徐々に新品のものがなくなっていきます
当時の人気が非常に高く、その後も名車として誉れ高くなったモデル、
トヨタのハチロクとか、英国のクラシック・ミニなどは、熱心なショップ
などの努力により、社外のパーツがたくさん出回って、今なお整備や
リノベーションに困らないこともありますが、そうしたモデルというのは
クルマやバイクの数多くあるものの中でも稀なことですし、レアなもの
や希少性を求めてクルマやバイクを買う人間にとってみれば、その
恩恵を受けることはあまりないのが普通です
ハナシを戻します
ボクの買ったドゥカティ400SSは今回落札したシートカバーが付いていない状態だったのですが、この頃の400SSや750SS,900SSは
どれも同じシートの形状をしていて、運転席とタンデム席が繋がった
形をしています(但し初期モデルはちょっと形状が異なります)
そのままでも別段なんら問題はないのですが、カバーが付いている
姿を見てしまうと、どーしても欲しくなってしまうんですよね・・
ネットから拾った画像ですが、下記↓はカバー無しの状態のシート

それで、下記↓がカバーが付いた状態のシートです

まぁなんということもない部分なのかもしれませんが、オーナーに
なってしまうと、こうした細かい部分を詰めたくなってしまうもので、
これはクルマでもバイクでも、国産車でも輸入車でも、みなさん同じ
なのではないでしょうか?
しかしながら今回ヤフオクで格安にてパーツを入手することができて
改めて思ったことは、この部品、ボクにとっては5千円という対価では
表すことのできない価値があるなぁということですね
これが新品だった頃の部品価格が(恐らくは何万もするものだったと
思われますが・・)世の中のモノの価値として適正だったのかどうか?
は定かではありませんが(ドカの部品は往々にしてとても高額なので)
本国イタリアからは遠く離れたこの日本において、最終型であっても
18年くらい前のバイクの部品が、中古であればあれこれと結構選び放題で手に入る状況というのは、インターネットが無かった頃では考えられないことです
よく、ロータスなどに乗っている時に「このクルマ、いくらしたんですか?」と聞かれることがあります。「100万ちょっとでしたよ」みたいに
答えると、「あぁそうなんだ」という返答が返ってくることが多いのですが、こうした人は目の前にあるそのものの価値を、お金という対価に
置き換えてみるしかその方法がないという人になるんだとボクは考えていて、そうした【価格を知ってチョット小馬鹿にしたような返答】をして
くる人に対して、ボクはなんとも思わないというか、どうということもなく
まぁ普通はそんなもんだ、くらいに捉えています
なぜならばそうしたモノに対しての判断は間違っているという訳では
ないですし、モノというものは興味の無い人にとっては、ある意味
「無価値」になるものだからです
GW中のとある日に、娘を乗せて埼玉県にある名栗湖(有間ダム)
へドライブへ行った時、ダムの頂上でランチア・デルタEvo1と
BMW 1シリーズMスポーツの人達と談笑する機会がありました
しばし談笑した後、ボクは娘と湖畔へ降りていって、湖の中を観察
して戻ったのですが(娘は談笑よりもそっちの方が好きなのでw)、
戻ってみても、その2人はあれこれと眺める角度を変えながら、
ウチのロータスを眺め続けていました。「このクルマ、実は安く手に
入れたんですよ、あなたのランチアなどとは程遠いくらい安く」といって
みても、「いやいや・・いやいや・・」とそんなことはお構い無しといった
感じで、買った値段のハナシにはあまり興味はないような様子。
そうなんですよね~。スキな人にとって、好きなモノというのはお金ではその価値を表すことはできない部分、やっぱりあるんです
そうした人達と、ほんの少しの時間でもお互いの時間を共有できたこと、楽しいひとときを過ごせたりすることは、ボクにとって何物にも代えられない、かけがえのないものです
ボクがクルマでもバイクでも、レアなヘンなものばかり追い求めている
理由というのは、そうしたことなのかもしれないです
自分が本当に好きなもの、良いと思ったものを追求して、それが例え
世の中にあるもっと手軽でもっと便利とされているものよりも、厄介で
面倒臭くて、時間もお金もより多くかかるものであっても、それをわかってくれる人は世の中に多くないですが存在していて、そうした人達と
たまに接することができたり、多くはない自分の自由な時間に、自分
が思う宝物のようなそれらのもの(クルマやバイク)と、時間を共有する
ことができる・・・
ボクにとっては、それが自分自身が「生きている」と実感できる瞬間
なんだと思っています(少々大げさですが)