幼紅葉が「鹿島順一劇団」に入団したのは、平成22(2010)年3月末、おそらく小学校を無事卒業したことで、周囲の許可・了解が得られたという結果かもしれない。私は、平成22年4月公演(香川県・城山温泉)で、彼女の初舞台を見聞している。その時の感想は、以下の通りであった。〈芝居の外題は「里恋峠」。金看板・更科一家親分三衞門・座長・鹿島順一、その息子三之助・鹿島虎順、その妹お里・新人・幼紅葉、親分の後妻おたき・春日舞子、代貸松造・春大吉、敵役の川向こう一家親分万五郎・花道あきら、その子分たち・蛇々丸、梅乃枝健、赤銅誠、滝裕二という配役で、注目すべきは新人・幼紅葉の起用である。外題の「里恋峠」は地名だが、娘・お里を案じる父・三衛門の想いも重ねられていることは確かであろう。だとすれば、お里はいわば「準主役」的存在、極めて重要な役どころではないだろうか。はじめは勢いのよかった更科一家も親分が中風で倒れた後は、子分衆は一人減り、二人減り・・・という「落ち目」で、今では代貸一人だけとなってしまった。その松造も、今は一家に見切りをつける潮時と「盃を水にしてください」と申し出る有様、加えて後妻からも離縁を迫られる始末で、病臥の親分、まったく孤立無援となってしまった。最後のたのみは娘のお里だけ(息子の三之助は勘当、現在、旅修行中)という状況の中、闘病中の三衞門を「かいがいしく」「かわいらしく」「無邪気に」「明るく」介護する風情が不可欠、後妻に入った、おたきの「あばずれ」「放蕩」気分とのコントラストが「見せ所」であろう。さて、一日目の舞台、新人・幼紅葉にとっては、いかにも荷が重すぎた。まだ、登場して「台詞を間違いなく言うだけで」精一杯、その「つたなさ」が、座長はじめ一同の「足を引っ張る」結果にななったことは否めない。その結果、《厳しさ、それは親子の愛》という眼目の描出は「不発」のまま終わった感がある。だがしかし、である。「そうは問屋が卸さない」のがこの劇団の真骨頂、(この芝居は二日替わり)二日目の舞台は景色・風情が「一変」していたのである。昨日とは打って変わり、お里の所作・表情・口跡が「芝居になってきた」。とりわけ、「視線が決まり」、「喜怒哀楽の表情」を描出することができるようになってきた。例えば、旅に出ている兄・三之助を「恋しく思い出す」、後妻おたきの「心変わり」を感じて表情を曇らせる、おたきの「身勝手な振る舞いを睨みつける」等々・・・。「かわいらしさ」「けなげさ」「無邪気さ」といったお里の「人となり」が、わずかとは言え、感じられる。新人・幼紅葉の「一日の成長」は確実、そのことによって、愁嘆場を演じる座長の「技」がより鮮やかさを増したたのである。万五郎一家に連れ去られたお里を追いかけようとする三衛門の「あわれさ」に多く観客が涙し、拍手が鳴り止まなかったのだから。「一日にしてこれほど変わろうとは・・・」、私は驚嘆・落涙する他なかった。今日の舞台は昨日の舞台があったればこそ、文字通り「失敗は成功のもと」「日々精進」を地で行くような結果であった。(幼紅葉の努力、素直さ、彼女を「一日で成長させた」座長はじめ各座員の面々に心底から拍手を送りたい)三衛門臨終の場面、本来なら「一度事切れたように見せかけて」、息を吹き返し、「あっ、忘れていた。もう一つ言い残しておく頃がある」と笑わせる場面だが、座長、深い感動に包まれている観客の雰囲気を察してか(割れるような拍手を聞いて)「今日はこのまま死んじゃおう」と思ったに違いない。「喜劇的な死」の場面は割愛されて終わった。まさに「舞台は水物」、その日の客筋に合わせて芝居をする、その典型を観る思いであった。三日目の舞台、外題は「月とすっぽん」とのこと、可能な限り来場したいと思いつつ、帰路についた次第である〉。それから1年3カ月が経った。「一日にしてこれほどかわろうとは・・・」という私の驚嘆・落涙は、その後もしっかりと「一年にしてこれほどかわろうとは・・・」という思いに置き換えられている。つまり、幼紅葉の「成長」は、今のところ、留まることを知らないのだ。その証し①:先輩・赤銅誠の出世狂言「幻八九三」(平成22年10月・ジョイフル福井)では、兄・伊三郎(三代目鹿島順一)のような強いヤクザに憧れる弟・伊之吉(赤銅誠)に、幼友達として忠告する茶屋の娘の役回りで、両者とも新人同士、その初々しい絡みが何とも魅力的だった。その後、兄・伊三郎と対面、「親父さんは元気かい?」と尋ねられるや、客席の方に向き直って、ニッコリしながら、「お父っつぁん?死んじゃった!」と言い放つ「一発芸」はお見事だった。その証し②:「中乗り新三」(平成23年2月公演・みかわ温泉海遊亭)、当時の感想〈今日の舞台、新三の妹役・幼紅葉の演技が、ことのほか冴えていた。帰ってきた新三と、うれしそうに、なつかしそうに対面する清々しさ、新三を木戸外に締めだし不孝を諭す母の話を傍で聞きながら涙する可憐さ、代貸しの女房に必死で兄(新三)の命乞いをする一途な風情等々、脇役としての「妙技」を垣間見せる、わずか十三歳の役者とは思えぬほどの舞台姿であった〉。その証し③:「長ドス仁義」(平成23年4月公演・座三和スタジオ)、当時の感想〈私がこの演目を見聞するのは3回目、しかし、赤穂の親分、茶店の親爺、二役が甲斐文太から三代目鹿島順一へ、吉良の親分が蛇々丸から甲斐文太へ、三下の朋輩・春大吉が、赤穂親分の妹・幼紅葉へと、配役は大幅に様変わりし、別の芝居を見るようであった。(中略)わずか十三歳の新人・紅葉が新設の登場人物(親分の妹役)に挑戦、春大吉の「穴」を埋めるどころか、それ以上の景色を「いとも自然に」描出していたことに私は驚嘆する〉。その証し④:「明治六年」(前に同じ)では、金に目がくらんだ遊女屋の女将役、亭主はなんと劇団最年長の梅之枝健といった「悪役コンビ」で、その強欲な風情をコミカルに演じ、とりわけ、引っ込みの「斬られ方」が「絵」になっていた、と私は思う。今後の課題は、舞踊ショーでの「当たり芸」を築き上げることだと思われるが、さしあたっては、「大阪すずめ 」(永井みゆき)、「木遣り育ち 」(由紀さおり)、「娘船頭さん 」(美空ひばり)、「浜千鳥情話 」(金沢明子)、「島田のブンブン 」(小宮恵子)などが「打って付け」ではないかと、とりわけ「木遣り育ち」は、脱けた生田春美の「初演目」であった。その穴埋めのためにも、是非「再現」してもらいたい、などと、私は勝手な希望を抱いているのだが・・・、果たして、叶えられるだろうか。(2011.6.13)
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「鹿島順一劇団」の役者、花道あきらは、昭和40(1965)年6月25日生まれ(宮崎県出身。血液型A型)、まもなく46歳になろうとしている。文字通り(油ののりきった)「男盛り」、今や劇団の中で「なくてはならない」存在となった。かつては、蛇々丸、春大吉と並んで、劇団の「三羽鴉」と見受けられたが、他の二人は新天地に飛び去り、今では、三代目座長・鹿島順一を支えなければならない「一羽の鴉」になってしまったのである。とはいえ、彼の「気性」「人柄」「芸風」には、ただならぬ《誠実さ》が感じられ、一羽で三羽分の「役割」を果たすであろうことは間違いない。5年前(平成19年11月)、私は彼の舞台を初見聞して、以下のように寸評した。〈「力を抜いた」演技に徹することが肝要。「つっこみ」から「ボケ」への瞬時の「変化」、「敵役」「汚れ役」にも期待する。「女形舞踊」は魅力的。「力を抜いた」舞踊をめざせば大成する〉。当時は、「力みすぎ」「一本調子」な口跡、所作が目立ち、観ている方が疲れてしまう雰囲気であったが、昨今の舞台では「力が抜け」、自然体で「飄々」とした演技が、彼独特のユニークな景色を描出している。主役では「三浦屋孫次郎」、「長ドス仁義」の三下奴、「月夜の一文銭」の嵯次郎、「浜松情話」の嫁探し親分、「花の喧嘩場状」の二代目親分・・・等々、を演じ、その「誠実で一途な」風情が、客(私)の心を温める。敵役では、「命の架け橋」の十手持ち、「里恋峠」の川向こう一家親分、「新月桂川」の蝮の権太・権次、「忠治御用旅」の役人、「仇討ち絵巻・女装男子」のスケベ侍、「悲恋夫婦橋」の成金・・・等々、悪は悪でも、どこか憎めない空気が漂う。敵役とは言えないが、「木曽節三度笠」、喜太郎の義兄、「噂の女」の弟のような、身勝手で他人の気持ちなど考えようともしない人物を演じさせたら、彼の右に出る者はいないのではないか。「噂の女」では、それまで他人の噂を信じ、旅役者と駆け落ちしたとばかり思っていた姉が、実は、自分の病気治療代を調達するために身売りしたことを知って号泣、そのあと、黙って姉の草履に着いた泥をぬぐう姿は、いつまでも私の目に焼き付いて離れない。
脇役では、「春木の女」の大店店主・慎太郎、「人生花舞台」の次郎長親分、「あひるの子」の社長、「マリア観音」の岡っ引き、「恋の辻占」の時次郎・・・等々、またまた「人情味」溢れる景色を描出、ほんのちょい役でも「心模様」の巡査、「関取千両幟」序幕の芸者姿で、舞台に色を添えている。まさに、劇団では「なくてはならない」存在になるまで、精進・成長した《証し》であろう。蓋し、「お見事!」と言う他はない。ことの真偽はともかくとして、劇団責任者・甲斐文太が座長時代、敵役に回って曰く、「誰のおかげで、いい役やっていられると思っているんだ、え?宮崎で、スナックのマスターやっていたところ、誰が、今までにしてやったんだ!」そのセリフを聞いて、主役の花道あきら、思わず噴き出して後を向く。また、家来役の花道あきらに向かって曰く、「おい!○○○○!」その時もまた、彼はビックリして噴き出した。後の口上で甲斐文太の話。「お客様にはわからないでしょう。○○○○というのは、彼の本名です。ちょっと気合いを入れてやりました」。いずれにせよ、甲斐文太の言葉の底には、「花道あきら(の成長)が可愛くて(嬉しくて)たまらない」という想いが感じられ、こちらまでその喜びを頂いた気分になるのである。
 前出の寸評で〈女形舞踊は魅力的。「力を抜いた」舞踊をめざせば大成する〉と、私は述べた。女形舞踊では「ある女の詩」(美空ひばり) が秀逸。立ち役舞踊では、「力は抜けた」が、まだ「単調」である。歌詞の内容を吟味して、一つ一つの言葉が「姿」に表れるように・・・。。個人舞踊は、自分が主役の「独り舞台」、相手がいなくても芝居をしているような気持ちで、「三分間のドラマ」を演出してもらいたいと、私は思う。(2011.6.7)
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梅之枝健、「鹿島順一劇団」の責任者・甲斐文太が、「大先輩」と奉る老優である。「演劇グラフ」(2007年2月号)では、〈昭和11(1936)年1月29日生まれ。大分県出身。血液型O型〉〈この世界に入ったきっかけは?:友達がある劇団にいたから。初舞台は?:19歳〉と紹介されている。だとすれば、彼は、今年75歳、舞台生活も56年目に入るということか。梅之枝健が初舞台を踏んだのは昭和30年、まさに、その時、二代目座長・鹿島順一(現・甲斐文太)が生まれているのだから、「大先輩」に違いない。勝手な想像を巡らせば、梅之枝健こそ、初代・鹿島順一の舞台を知り尽くしている「生き証人」、その芸に惚れ込んで座の一員となったか。二代目座長が旗揚げ以来、陰になり日向となって、劇団を支えてきたか。いずれにせよ、五十余年に亘る彼の舞台歴は、今、脇役の重鎮として、いぶし銀のような輝きを放っていることは確かである。私が彼の舞台を初見聞したのは5年前、芝居の演目は「会津の小鉄」、小鉄の兄貴分という役柄であった。小鉄が名張屋仙吉に愚弄されたことを、小鉄の女房に伝えに来る、登場したのは、ただそれだけの場面、荒々しい風情だけが印象に残り、ただの端役者ではないかと思っていたのだが・・・。それは(私の)全くの見誤り、端は端であっても、「筋金入り」の端であったのだ。いうまでもなく主役だけで芝居はできない。「ほんのちょい役」「その他大勢役」こそが舞台の景色を際だたせる。老優・梅之枝健は、ただひたすら「端役」に徹し、今でも立ち回りに(「斬られ役」として)参加する。そればかりではない。数ある名舞台の中で、「彼でなければならない」役柄が確固として存在する。たとえば、芝居「春木の女」の亭主(元網元)役。浜の若者たちの前では、風の読み方(天候の予測)を伝授できるほどの経験者なのに、女房(トラ・甲斐文太)の前では、からきし意気地が無く、「アンタは養子!、黙ってらっしゃい、この甲斐性なしが!」などと一括されて縮み上がる。そのコミカルな風情はなんともいえず魅力的、だが、そのままでは終わらない。娘・おさきが「捨て子」であったことをトラが暴露したときには激高した。「それだけは言わない約束ではなかったか!もういい!こんな家なんて出て行ってやる。おさき、ワシと一緒に出て行こう」と引導を渡す光景は、思い出すだけでも涙が滲んでくる。つづいて、芝居「仇討ち絵巻・女装男子」は芸者置屋の「おとうさん」、「噂の女」で《一芝居打つ》おじさん(弟の嫁の父)、「忠治御用旅」では、忠治子分の女房に横恋慕する敵役、時には「月夜の一文銭」の岡っ引きも達者にこなす。最近の「明治六年」では、新人・幼紅葉(13歳)を相手の夫婦役(コミカルな悪役)まで演じ切るとは・・・。感嘆する他はない。舞踊ショー、個人舞踊では「白塗り」「若作り」の風情で、さりげなく、裾の「浮世絵」(歌麿風)を垣間見せる「立ち役」が、たまらなく「粋」であったが、最近は裏方に回りがち。「女形大会」で魅せたあの艶姿、組舞踊「美幸の阿波おどり 」ではウキウキと、一際目立つ舞姿は、今でも私の目にしっかりと焼き付いている。
大衆演劇界での老優といえば、金井保、若葉しげる、高峰調士、大道寺はじめ、中野ひろし、白富士京弥、初代・姫川竜之助・・・等々、枚挙に暇がないとはいえ、彼らはいずれも元座長クラス。名脇役(筋金入りの端役者)の老優で、まず梅之枝健の右に出る者はいないであろう、と私は思うのである。
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