次は発症時のことを書こうと思ってたけど、

そもそも原因を書いてなかった…。


なので、今回は原因を書こうかな。


前の記事からも想像付くかもしれないけど、
アナフィラキシーショックの原因は【薬剤】です。

プリックテストと血液検査のダブルチェックで、抗生剤と解熱鎮痛剤で陽性が出ました。

※プリックテスト用の薬液(服薬したやつ全て)



血液検査はプリックテストで膨疹が基準値以上のものだけ。

※6種類も処方されたので金額面を医師が考慮してくれた。アレルギー専門医で、目星が付いてたからプリックして判断しようとなりました。

血液検査していない薬は服薬チャレンジしていないので、当時処方された薬は全て被疑薬で、処方NGです。

抗生剤と解熱鎮痛剤は、同じ系統は完全に処方NGです。


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まだ、アナフィラキシーの原因を調べるアレルギー検査をする前に、耳の治療で通院したら、同じ系統の別の抗生剤を処方されました。


怖くて医師に確認したら、「こっちの方がマイルドだから、心配しなくて大丈夫。」って言われた。


不信感強くなって、ホームドクターから外しました。


※アレルギーの検査したところの医師に話したら、あり得ないって話してました…。アレルギー科を標榜してるのに…。


調剤薬局の薬剤師にもアナフィラキシーショックのこと伝えたけど、「使って何かあったら連絡ください」と言われて、処方が合っているのか確認しなかったので、呆れてしまった。


※調剤薬局によっては必ず確認してくれるし、薬剤師さんが調べてから説明してくれるので、当たり外れなだけかも。


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ちょっと愚痴がこぼれましたね。


処方されて抗生剤や解熱鎮痛剤は15年くらい前に初めて服薬して以来、何度も飲んだことのある薬で、まさか劇薬に変化するなんて微塵も思いませんでした。

少しでも疑問に思ってたら、1回目の服薬後の喉の違和感で留めることが出来て、アナフィラキシーショックには至らなかっただろうと思いますが、「前も普通に飲めてたから」で済ませてしまいました。


それに、「アナフィラキシーが自分の身に起こるはずがない」と思う自分がいました。


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でも、実際には起こってしまったのですよね。

これは薬を処方した医師が悪いわけでもないし、薬を開発した会社が悪いわけでもない。

ただ、自分の身体の状態が、薬の作用に負けてしまっただけなんだと思ってる。

「クスリのリスク」を侮るなかれ。


少しでも違和感があったら、すぐに処方したクリニックや薬局に連絡してくださいね。


症状出てたら、救急車です。

(誰かに相談する余地がないくらい、進行が早かったら)


さて、次は発症のことを書こうと思います。


では、また。

前回に続く。

13:30

お昼ご飯を食べて、処方された薬を服薬。
一休みして移動開始。

14:00
事務所で仕事に勤しむ。特に体調に変化無し。

16:00
何だか喉がイガイガして痛痒い感じがする。
熱あるし、風邪引いたかな?と考えて、下のコンビニへのど飴を買いに行く。

※今振り返ると薬の副作用だと考えられる。
何回も服薬したことあるので副作用とは微塵も思わなかった。

19:00
喉の違和感が広がり、怠さも強くなってきた。
印刷物も終わったし、家帰って仕事しようと思う。

20:30
事務所出発して帰宅の途に。
猛烈な眠気に襲われて、電車で爆睡。

コロナ流行で電車も空いていたので、
体調的にも体力的にも座れたのはラッキーだった。

21:30
帰宅して、朝の残り物を食べて、食後の一休み。
仕事の資料を広げるも、怠さでやる気が出ず。

翌日から休日&休日振替で4日間不在になるので、
仮眠してから再開することにして、
オンライン中のチームメンバーに指示だけしまくってPCを閉じる。

あ、夜の服薬忘れてた。

次回へ続く。

前回の投稿からもうすぐ2年経つのか…。

あの頃は倒れて救急搬送されて、ICUに入院した。
仕事で疲れきって、精神的にも限界だった。

在宅勤務を良いことに、毎日朝から翌朝まで働いて、仮眠し同じ働き方を1年以上続けてた。
(色々調整しておち、法律違反はしてないです。)

案の定、体力落ちて、免疫も落ちて、中耳炎と外耳炎を併発。

片耳聴こえなくなったり、
聴力復活したら左右の音階が変わって、
不協和音で毎日船酔いしている感じ。

熱も出て来て、顔面にも痺れが出てきた。

かかりつけのクリニックに駆け込み、
聴力検査や諸々検査して、突発性難聴とかでは無く、中耳炎と外耳炎(ほぼ末期)の診断。

薬を処方してもらったので、お昼食べて事務所へ向かおうとランチ出来るお店へ移動。

救急搬送まで11時間前。

次へ続く。



実は倒れて救急搬送されてました。


週末入院で退院出来たのは、
救急隊、医療関係者のお陰です。

まさに、一秒を争う世界が、
私の身に起こるなんて、
知るよしもなかった。

さて、その話は備忘録として残すとして。

自宅静養中のある日、
三浦春馬さんの訃報に衝撃を受けたのは、
言うまでもない。

「なぜ?嘘でしょ?」

と戸惑ったけど、
冷静に自分の状況を振り返ると
今ならその行動か分かる気がする。

予め断りますが、
以下は自分自身の話なので、
上の内容とは一切関係ないです。

また、鬱や躁鬱といったものでもなく、
あくまでも主観です。


さて、本題。

私自身、現在進行形で、
過労死寸前で働き続けてますが、

倒れるまでは

「後少し、後少し」

って言い聞かせて制御がきいた。

でも、倒れてみると、
やはりキャパは超えてた
現実を突きつけられて、

「後少しなのは分かるよ。」
「でも、少し休んでもいいかな?」
「救急車を呼ばなければ、楽になれたな。」

とか、考えることも増えました。


その考えから、

一歩前に出るか、留まるか。

本当に些細なことだけど、
この判断が鈍る感覚が出てくるのです。


私の場合は、
自ら周りに話すし、
受け入れて聞いてくれる人もいる。

これが無かったら、
早々に鬱になり、
この世には居ない可能性が高い。

倒れてみて、
改めて、自分のことを考える
良いきっかけが出来た。

もう数日、
倒れるのが遅かったら、
私も諦めて救急車は呼ばなかっただろう。

俳優さんの死の謎も頭を巡り、

「何か分かるかも。
このままあの世でもいいかな。」


とも、思っただろうな。



でも、あのときは、


「まだやりたいことがあったはず。」
「今は死ねない。」

って思ったら、
パニックになっても、
助けを求めて119をコールしてた。


特にオチも纏めもない。

でも、人間、生きるか死ぬか、
その人の体力気力にもよるけれど、
紙一重であることは、
これからも一生、覚えていよう。



倒れた翌朝、ICUからみた空。

梅雨の合間で曇ってたけど、
朝がきて、目が覚めるって、
当たり前じゃないと気付いた。

私は時限爆弾を抱えながらも、
ある時間を過ぎれば解放されるけど、
周りは重症の方ばかりで(ICUだからね)、
生かしてもらった命、
大切にしないといけないね。

いつもと変わらない毎日だけど、
それも私の人生。

しっかりと、地に足着けて進みます。

相変わらず仕事はしていますが、
最後に事務所へ行ったのは、約2ヶ月前。

3週間ちょっとの旅行も、
旅先で仕事。

帰国後も、外出自粛で在宅勤務。
(職場の産業医とも相談済)

この間も仕事は滞りなく進み、
夜間対応とかもリモートで平常通り。

在宅勤務の制度が始まって、
もう4年は経ってるけど、
フル活用したのは骨折以来かな。

もちろん、職種によるけれども、
在宅で出来る人は少なからずいると思う。

研究者の友達も、
大学へ行かずに家でやってる人もいるし、
オンラインで授業配信をしている。

そりゃ、外に出て、
思い切り楽しみたいと思うこともあります。

でも、欧州の現状(悪化する前だけど)を
体験したからこそ、
今は自粛することを自ら選ぶ。

人口母数に比べたら
感染者は少ないなかもしれないけど、
これ以上、拡大させないように、
出来ることはあると思う。

自分を守るだけでなく、
大切な人たちを守るのは、
私たちが頑張るしかない。

と、私は思う。



この写真はロックダウン初日のオーストリア。

ふと目の前を見たら虹が出ていた。

通りがかりの人達と、
きっといい日が戻ってくるよね、
と話していた想い出の1枚。

Schön Tag noch!