hidekiのブログ

hidekiのブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!
僕は29歳のキックボクサー。
今人生どん底の真っ只中である。
19歳でキックボクシングを始め、23歳でキックボクシングを休止し、2年のブランクの間社会人として働いていた。チャンピオンにどうしてもなりたいとの強い思いで25歳の時に脱サラで復帰を決心した。そして今に至るまでに24戦、戦ってきた。
24戦の内、僕は5敗しており、その内の4敗がベルトを賭けたタイトルマッチ。残りの1敗もトーナメントの準決勝だ。
格闘家に取って目指すところはやはりここ、ベルトであろう。
しかし、どんなに他の勝負で結果を出しても、ここで結果を残すことが僕にはできなかった。
僕は25歳の時に30歳まで現役に力尽くすと決めた。しかし、今はどうしてと自身が持てない。
僕は復帰してから5戦目で海外のベルトを奪取することができたが、復帰してから最初の挫折は他団体のチャンピオン同士が集い、真の日本一を決めるトーナメントの時だ。当時この団体は地上波でもちょくちょく放送され人気があった。このトーナメント参戦の頃、僕には知名度が全くなく、恐らく1回戦敗退と多くの人から思われていたと思う。しかし、1回戦でダウンの取合いの中、僕は勝利しインパクトを残すことができた。結果的にプロモーターからも話題性を引き出してもらい、地上波でも何度かメインで出演させてもらうと共に、徐々に知名度と応援してくれる人が増えて行った。その勢いで、準決勝も勝ち上がりついに決勝まで勝ち進むことができた。
「新婚さんいっらっしゃい」にも出演し、当時15戦14勝という戦績から多くの人が僕が優勝すると予測していたと思う。
僕も優勝するために、自らきついトレーニングで自分を追い込んで行った。もうこれ以上練習できないぐらい練習した。
今を含めてもあんなにきつい日々を送ったことはないぐらいだ。
そして、大会当日多くのお客さんが観戦しにきた。タイトルマッチは基本的に3分5ラウンドで行われる。序盤、ジャッジや他の人の意見では僕が若干ペースを握るが、自分では分からない。そして、4ラウンド残り数十秒のところで僕がダメージを与えダウンを奪う手前まで追い詰めたが、不用意な一撃をもらってしまい逆にダウンを奪われてしまう。5ラウンド目も挽回することが出来ず1ポイント差で復帰後初めての判定負け。この時、多くの人から「あのダウンさえなければ」と言われた。つまり、運が味方に付いてくれなかったねということだろう。僕は現役中自分のファイトで価値を見出したいと思い、それは自分のファイトで多くの人を元気づけること、勇気づけることだと結論付けた。この時は僕はまだ27歳だし、チャンスはまた来ると早期に切り替えることができた。
そして、現在主戦場に置いている団体で海外の強敵を倒し、この団体での初のタイトルマッチが決まった。これが2度目の挫折となる。相手は若手で、当時のし上がって来たばかりの選手。もちろん実力もある。
そしてタイトルマッチ当日、もちろん相手選手は強かったが、若干僕がペースを握っているとの声がある中、3ラウンドの途中で僕のスネが蹴った際に裂けた。結果、途中ドクターストップのTKO負け。またしてもタイトル獲得にはならなかった。この時会場は大荒れになり、対戦相手は僕との再戦を約束してくれた。
この時も多くの人から「スネさえカットしなければ」と言われた。つまり運がないなということ。
それから再戦を待ち望みながらも、僕は試合を勝ち続けた。しかし、再戦されることはなくベルトが返上ということになり、また若くて当時、のし上がって来たばかりの選手と2度目のタイトルマッチが決まった。この団体ではニ度目のタイトルマッチ、復帰してからは三度目のタイトルマッチということもあり、とにかくベルトは欲しかった一心で、とにかく練習したし、一人の時間も常にベルトを取るためにはどうしたら良いかを考えていた。やり残すことがないように抜かりなく仕上げ、当日を迎えた。しかし、彼は強く、僕は1ラウンドのko負けを喫した。正直、割とすっきりしていて、このまま引退してもいいかなと思っていた。ただ、この時多くの方からまた試合がみたい、また頑張ってる姿をみたいとメッセージをもらい、自分一人の問題ではないと強く思った。僕にはこの頃、当時2歳の息子が居た。息子が生まれてから挫折ばかりで挫折を乗り越えた姿を見せられていない、もう一度挑戦してチャンピオンになる姿を見せてあげないといけない。それが父親の役目だとの思いで再起を決心した。僕は結構ポジティブな性格な部分が多くあり、ネガティブな感情は持っておらず、運は良いと思っていたので、ここから本気でチャンピオンなってやると行動していった。
それからコロナウイルスが大流行し、一時期試合どころではなくなってしまったが、こんな時でもファイターである以上、甘えず自分でできることに徹して練習した。
そして夏頃遂に試合が決まり復帰戦を勝利で前進し、次戦の10月も勝利で続いた。
リーマンからキックボクサーの現役に復帰してから試合後2週間も経てば次の試合が決まっていたが、この10月の試合後は中々知らされず、11月も終わろうとしていた。
僕は有難いことに何年も1月2月に試合が決まっていたため、毎年恒例のようにクリスマスや年末年始はもちろんなかった。
しかし、11月も終わろうとしていたので、今年は年末年始ゆっくり過ごせるねと家族と話していた矢先、僕にko勝ちした選手がベルトを返上することになり、遂に3度目のタイトルマッチ、トータル4度目のタイトルマッチが決まった。相手は僕と同じく中々状況を打開できないが実力のある選手。今までのタイトルマッチではとにかく練習量と追込みを重視して練習してきた。
しかし、これまでうまくパフォーマンスを出すことができなかったので、自分にあったトレーニングについて本気で深く考えて取り入れていくことにした。
もちろん、その中にもきついは付きものだが、それ以外でも大きな変化を付けることができたと思う。その成果もあり、メンタル、心身共に充実して試合当日を迎えることができた。当日動いた感じは過去1番調子が良いように感じた。
絶対勝てる。絶対チャンピオンになると言い聞かせた。感覚的にも自分がチャンピオンになるような気がした。自分を信じ切れていた。
ゴングがなり、お互い探り合う中ラウンド終盤にパンチをもらってしまい、ダウンを奪われてしまう。
試合5ラウンドあるので、焦りはしなかったし、リング上の僕は強気だった。
そこから2、3、4とできる限り攻めて行き、そのどこかのラウンドは僕がポイントを取ったであろう。しかし4ラウンド残り0秒のところでまたしてもダウンを奪われてしまった。残り1ラウンド。最後は倒すしかないと思ったので、必死に攻めた。しかし、思いは届かず終了のゴングが鳴ってしまった。判定は2ポイント差で判定負け。
この時も多くの人から言われた。「残り0秒のダウンが無ければ」と。つまり運がない。日頃僕は運が悪いと思うことはないが、なぜ、タイトルマッチのときだけ?なぜほんの僅かいつも届かない?
今そう思ってしまっている。
残り数カ月で僕が予定としていた30歳になる。自分が決めていた30歳までしっかりやり切る。このまま続けていても次があるか分からない。ここで辞めたら後悔しないか。この分野じゃなくても他の分野で人に勇気付けはできる。この分野に固執する必要はあるのか?そんなことが頭の中をぐるぐる廻る。
希望とはなんだろうか。