『障がい』ってなんだろう。
わたしは十数年の間障がいがあると認定された人たちと一緒に日々を過ごしているけど逆にわからなくなる。
それはこういう福祉サービスの一部として従事しながら言うのもなんだけど障がいって何?ってなる。
だって、わたしが日々一緒に過ごす彼らは確かに様々な場面で時間がかかることが多いのは確か。
支度をするまで、気持ちを切り替えるまで、意思疎通ができるまでとか。
でも、だとすると私自身も障がいである部分は少なからずある。
なんか、その部分が生活や生きることに支障をきたすと障がいとうことになるらしい。
まぁならば、100歩譲ってそれがそうだと、本人にとって周りにとって、安心したり、諦めがついたり、接しやすかったりするのなら良いとして、私が疑問に思うのは、こういう福祉の社会にいると様々な障がいに対して特性や対応の仕方、療育等が研究や統計率でグループ分けされてみんなはそれを必死に勉強して日々の支援にはめていくのだけど、時々勘違いしている人がいる。というか、麻痺されていくのかもしれない。そういう知識はあくまでも本人の為ということがまずは大前提であるべきなんだと思うが、長くこの世界にいると大抵の支援者が支援者の為の支援する側が困らない、リスクを抑えるための知識になっているとしか私には思えない。
発達や知的、自閉、精神、肢体、どんな障がいであろうと、その前に相手のことを一人の人間としてあなたはちゃんと見れていますか?
と言いたくなる場面が本当に多い。
それって、今相手が何が言いたいかわからなくてパニックになっているこの状況に対してこの人はこのグループの障がいだから、はいはいみたいなので無理やり自分の知識の中の支援をはめていく。
だけど、そんなもので収まるわけがない。
だって相手が何を伝えようとしているのかを考えようともせず、相手からすればなんの思いも相手に伝わらず、自分の意志は何一つ実現しないのだから。
もちろん全員が全員ではない。素晴らしい支援員も沢山いる。私だって正解など何一つもっていない。日々失敗の連続。
ただ、その知識があくまでもひとつの手段であり正解でなないといことを念頭に置いて様々な知識を習得するならするべきだと思う。それを正解だと勘違いしている人が非常に多い。だから私は基本的に最低限の知識は学んできたが、それ以上の座学にはあまり興味がない。じゃあどうすればよいか。とてもシンプルだと思う。
本気で向き合う。何が言いたいのか、何が嬉しいのか、何が嫌だったのか、日々向き合って、時間を重ねて、失敗しながら探し続け、その人自信の統計を取るべきだと私は思う。それが、わたしたちの本来の役割とまたわたしはこれがこの仕事の醍醐味だと思っている。一つのサインに数日、数か月、または数年かかるかもしれない。でも、必ず発信したそのサインには大事なメッセージが込められている。それがわかった時の喜びは半端じゃない。それは相手と繋がる瞬間でもある。何かが出来るように、社会にでて一人で生きていけるように、その為の支援も必要だが、人としてわたしたちのように当たり前に何かを伝えることができる人と同じように、思っていること、考えていること、やりたいことの数は同じなんだからこそ、それを最大限に実現できるようにまずはサポートしていくのが自分の仕事だと思っている。