これからの人生、幸せしかないっ! -2ページ目

これからの人生、幸せしかないっ!

ガーデニングが趣味だった普通の主婦から、夜のお仕事へ···。

現在、相方と出会い、夜は卒業しました。

アメンバーは受け付けていません。

深夜、父が救急車で運ばれた日。



ブログに詳しくは書かなかったけど、あの日は、本当に気持ちがいっぱいいっぱいだった。

急な休みを貰うには、周りに迷惑を掛ける。

早起きの先輩は、あの日、副業の仕事が入っていて、代わりには出れない、深夜の為、他のスタッフ誰にも連絡は出来ない。

ここからはブログに書いてないけど、先輩が「○○さん(社員)なら、始発電車で旅行に行くって言ってたから早く起きてるかも!」と教えてくれた。

でも、LINEも既読にならない。

電話も出ない。

その間も、急患を受け入れてくれる病院は見付からない。

刻々と時間は迫る。

シフトの代わりは見付からない、病院は受け入れてくれない。

両親に関わっていなければ、こんなことにはならなかったのに...。

どうしていつも私ばっかり...。

もう、お願いだから死んでくれ...。

酸素マスクをつけた父に向かって、思った。



やっと、受け入れ先が見付かって、入院。

約2ヶ月後には看取りの施設へ。

そして、その約2ヶ月後、父は他界した。


今でも思う。

あの時、私が『死んでくれ』と思わなければ、父はもっと生きただろうか?

いや、肺炎での入退院を繰り返し、長くはないと医者に言われてた。

人の寿命が分かるなら、あんな施設ではなく、自宅で看取ってあげたかったのが本音。

たった2ヶ月で逝ってしまうなら、私が頑張れば良かった。

家に帰りたい

連れて帰って...と泣いた父の顔が忘れられない。

大好きな自宅で旅立った方が、父にとっては幸せだったと思う。

あの日、死んでくれと思ったこと、自宅で看取り介護がしてあげられなかったこと、それが今後、私が背負っていく重い十字架だと思ってる。


重い話を聞いてくださり、ありがとうございました。