深夜、父が救急車で運ばれた日。
ブログに詳しくは書かなかったけど、あの日は、本当に気持ちがいっぱいいっぱいだった。
急な休みを貰うには、周りに迷惑を掛ける。
早起きの先輩は、あの日、副業の仕事が入っていて、代わりには出れない、深夜の為、他のスタッフ誰にも連絡は出来ない。
ここからはブログに書いてないけど、先輩が「○○さん(社員)なら、始発電車で旅行に行くって言ってたから早く起きてるかも!」と教えてくれた。
でも、LINEも既読にならない。
電話も出ない。
その間も、急患を受け入れてくれる病院は見付からない。
刻々と時間は迫る。
シフトの代わりは見付からない、病院は受け入れてくれない。
両親に関わっていなければ、こんなことにはならなかったのに...。
どうしていつも私ばっかり...。
もう、お願いだから死んでくれ...。
酸素マスクをつけた父に向かって、思った。
やっと、受け入れ先が見付かって、入院。
約2ヶ月後には看取りの施設へ。
そして、その約2ヶ月後、父は他界した。
今でも思う。
あの時、私が『死んでくれ』と思わなければ、父はもっと生きただろうか?
いや、肺炎での入退院を繰り返し、長くはないと医者に言われてた。
人の寿命が分かるなら、あんな施設ではなく、自宅で看取ってあげたかったのが本音。
たった2ヶ月で逝ってしまうなら、私が頑張れば良かった。
家に帰りたい
連れて帰って...と泣いた父の顔が忘れられない。
大好きな自宅で旅立った方が、父にとっては幸せだったと思う。
あの日、死んでくれと思ったこと、自宅で看取り介護がしてあげられなかったこと、それが今後、私が背負っていく重い十字架だと思ってる。
重い話を聞いてくださり、ありがとうございました。
