【昔も今も同じことって?】〜すばらしいことができる秘密
子供の頃両親が
世界中のアーティストを紹介する本を購入してくれたんだ。
20巻ぐらいあったかなぁ。。
第一号がレオナルド ダ ヴィンチ
第二号がミケランジェロだったと思うよ。
別にアート教育といったまじめなことではなかったけど
子供のころからマスター達の作品を眺めることは
自分の将来に大きな影響があったと思う。
学問や歴史を知るまえに子供ながら
レオナルドの「モナリザ」や ミケランジェロの「ダヴィデ」など
興味を誘い、じっと眺めていたのを覚えている。
世界中、一人一人、自分なりの考えがあり、歴史、宗教、政治などの背景で「真実」も変わるけど、
マスターが創るアートは、一千年たっても説明はいらないし、常にすばらしい。。
なぜだろう?
なにが、そうさせるのだろう?
【地球は丸かった?!。。】
この間、ちょっとしたラジオ番組の撮影にゲスト出演した時のこと.
「これからの時代は益々、グローバリゼーション(globalization)であり、Dさんのような広い視野を持つことが必要ですねぇ。。」
「ゴローバルで、特に学んだことで、これだ!っということはありますか?」
:D
「ん。。。ん。そうですねぇ。。 今となって考えると、地球はやはり、平ではなかったけど、丸でもなかったですねぇ。。笑」
「。。。」
:D
「空からみると本当にわかりやすいのだけど、実際は楕円形で。。 まぁ。そんなことはあまり関係ないですよねぇ。。 ははぁは。。」
:D
「40数カ国以上、旅してみて感じたことは、今も昔も実際はあまり変わっていないと思います。。」
:D
「確かに、所変われば、顔も、服装も違うわけで、文化、考え方もまったく違う。。。」
:D
「でも、実際、人として会話して、一緒に住んでみたりすると、あまり変わりがない。。と思います。」
:D
「グローバルの時代。。地球に住んでいるので確かにそうだと思うけど、これからはユニバーサルの時代だと思います。。」
「宇宙??!。。 ですかぁ~! ははぁは。。。 笑」
地球という場所に限られているから、グローバルというけど、僕たちが本当に向かっている所。というより、「意味」は、「共通/理解」ということだと思うんだぁ。 グローバルとう言葉の本当の意味は、みんなが一つに繋がっている。。という意味だし、外国を旅することで、お互いの文化を理解して、受け入れるということでもあるしねぇ。。
そう考えると、これからの時代は、さらに文化の違いや時間という軸を超えた、いつでも共通する意味合いを問い、受け入れ合う時代になると思う。
その視点から見てみると、
ユニバーサルなランゲージ「言葉」は一つだけ。
それが、「感情」。。。。
【いつになっても、誰がみてもすばらしい。。】
昔も未来も犬も人間も悲しいものは悲しいし、嬉しことは嬉しい。
このユニバーサルなランゲージを考え始めたのが
フィレンゼで実際にみたダヴィデとの出会いだったと思う。
南カリフォルイア大学時代、アメリカ人学生としてヨーロッパへ留学し、レオナルドとミケランジェロの作品は
時間が許される限りすべて見て触ったのを、昨日のことのように覚えているなぁ。
「彼らが生きている時、世の中はどうだったのだろうか?」
見かけやテクノロジーは違うけど、実は今と同じ毎日/時間を過ごしていたのではないだろうか?
毎日不平を言う人もたくさんいただろうし、
政治や名誉に溺れる人も数えきれないぐらいいただろう。
いつの時代もお金はいくらあっても足りないと思っていただろうし、
時間の使い方や、人生の意味など、いろいろなことを考えることは、
昔も今も同じなのかもしれないなぁ。。
人生に与えられた時間内に
彼らは理解できないほのどアート/建築を次々と創る。
ミケランジェロがダヴィデを掘るとき
どんな心境だったのかな。
夜も一人で掘ってたのかな。
自分がスケッチする時みたいに、多分、独り言もいっていただろうなぁ。。
「わぁ!これだぁ!」。。とか、
「いや。こうじゃない。。」とか。。
隣に住む近所のおばさんも、彼の友達も、普通に一つのアートとして通りすぎていたのだろうな。
ミケランジェロ自身、死んだ後なんて考えていなかっただろうな。
周りから見れば、彼は 「いそがしくて大変ですね。。。」だったのかもなぁ。。。
だれが決めたのでもなく、自分でやると決めたこと。
一度決めたら、なにも求めず、ただ進むべし。
僕は、それでいいと思う。
いつになっても、すばらしいもは、
創る前からすばらしいと思う。
頭の中で、すばらしいと思うことをやり通せば、
誰かの心の中で、すばらしいと思う日が来ると思う。
See ya,
:D.
世界中のアーティストを紹介する本を購入してくれたんだ。
20巻ぐらいあったかなぁ。。
第一号がレオナルド ダ ヴィンチ
第二号がミケランジェロだったと思うよ。
別にアート教育といったまじめなことではなかったけど
子供のころからマスター達の作品を眺めることは
自分の将来に大きな影響があったと思う。
学問や歴史を知るまえに子供ながら
レオナルドの「モナリザ」や ミケランジェロの「ダヴィデ」など
興味を誘い、じっと眺めていたのを覚えている。
世界中、一人一人、自分なりの考えがあり、歴史、宗教、政治などの背景で「真実」も変わるけど、
マスターが創るアートは、一千年たっても説明はいらないし、常にすばらしい。。
なぜだろう?
なにが、そうさせるのだろう?
【地球は丸かった?!。。】
この間、ちょっとしたラジオ番組の撮影にゲスト出演した時のこと.
「これからの時代は益々、グローバリゼーション(globalization)であり、Dさんのような広い視野を持つことが必要ですねぇ。。」
「ゴローバルで、特に学んだことで、これだ!っということはありますか?」
:D
「ん。。。ん。そうですねぇ。。 今となって考えると、地球はやはり、平ではなかったけど、丸でもなかったですねぇ。。笑」
「。。。」
:D
「空からみると本当にわかりやすいのだけど、実際は楕円形で。。 まぁ。そんなことはあまり関係ないですよねぇ。。 ははぁは。。」
:D
「40数カ国以上、旅してみて感じたことは、今も昔も実際はあまり変わっていないと思います。。」
:D
「確かに、所変われば、顔も、服装も違うわけで、文化、考え方もまったく違う。。。」
:D
「でも、実際、人として会話して、一緒に住んでみたりすると、あまり変わりがない。。と思います。」
:D
「グローバルの時代。。地球に住んでいるので確かにそうだと思うけど、これからはユニバーサルの時代だと思います。。」
「宇宙??!。。 ですかぁ~! ははぁは。。。 笑」
地球という場所に限られているから、グローバルというけど、僕たちが本当に向かっている所。というより、「意味」は、「共通/理解」ということだと思うんだぁ。 グローバルとう言葉の本当の意味は、みんなが一つに繋がっている。。という意味だし、外国を旅することで、お互いの文化を理解して、受け入れるということでもあるしねぇ。。
そう考えると、これからの時代は、さらに文化の違いや時間という軸を超えた、いつでも共通する意味合いを問い、受け入れ合う時代になると思う。
その視点から見てみると、
ユニバーサルなランゲージ「言葉」は一つだけ。
それが、「感情」。。。。
【いつになっても、誰がみてもすばらしい。。】
昔も未来も犬も人間も悲しいものは悲しいし、嬉しことは嬉しい。
このユニバーサルなランゲージを考え始めたのが
フィレンゼで実際にみたダヴィデとの出会いだったと思う。
南カリフォルイア大学時代、アメリカ人学生としてヨーロッパへ留学し、レオナルドとミケランジェロの作品は
時間が許される限りすべて見て触ったのを、昨日のことのように覚えているなぁ。
「彼らが生きている時、世の中はどうだったのだろうか?」
見かけやテクノロジーは違うけど、実は今と同じ毎日/時間を過ごしていたのではないだろうか?
毎日不平を言う人もたくさんいただろうし、
政治や名誉に溺れる人も数えきれないぐらいいただろう。
いつの時代もお金はいくらあっても足りないと思っていただろうし、
時間の使い方や、人生の意味など、いろいろなことを考えることは、
昔も今も同じなのかもしれないなぁ。。
人生に与えられた時間内に
彼らは理解できないほのどアート/建築を次々と創る。
ミケランジェロがダヴィデを掘るとき
どんな心境だったのかな。
夜も一人で掘ってたのかな。
自分がスケッチする時みたいに、多分、独り言もいっていただろうなぁ。。
「わぁ!これだぁ!」。。とか、
「いや。こうじゃない。。」とか。。
隣に住む近所のおばさんも、彼の友達も、普通に一つのアートとして通りすぎていたのだろうな。
ミケランジェロ自身、死んだ後なんて考えていなかっただろうな。
周りから見れば、彼は 「いそがしくて大変ですね。。。」だったのかもなぁ。。。
だれが決めたのでもなく、自分でやると決めたこと。
一度決めたら、なにも求めず、ただ進むべし。
僕は、それでいいと思う。
いつになっても、すばらしいもは、
創る前からすばらしいと思う。
頭の中で、すばらしいと思うことをやり通せば、
誰かの心の中で、すばらしいと思う日が来ると思う。
See ya,
:D.