【わい・なぁ?】Why Not? | カリフォルニアの建築家日記

【わい・なぁ?】Why Not?

【わい・なぁ?】

~全ては正しい質問から

カリフォルニアの建築家日記



サンタモニカのビーチで大人が一生懸命造った砂のお城を見た子供は、
ニコニコ笑いながら足で蹴っ飛ばすではないか。。。汗



「Oh, my son!, What the hell did u do that for..」

(何を考えてそんなことをするんだ! 怒)

「You don’t even have a god damn talent to appreciate my effort.. 」

(私の努力を感謝する才能すらないのか?)




子供は大きな声を出して泣いていた。。






確かに。。 

そんな無礼なことをする子供に心のモラルを教えるべきだろう。。




確かに。。 

一生懸命造った作品をあっと言う間に壊されてしまったら心も乱れるだろう。。。




「ムカァ!」っとするのは当たり前。。。かなぁ?







【Why not..】

持って生まれた才能で人生の質が決まるのであれば、
この世の中に神様なんていないと思う。


神様の頭の中には良い事、悪い事など存在せず、
選ばれた人、選ばれていない人、などといった表裏の概念はないと思う。



神様は宇宙のように絶対的存在で、
全てをありのままに尊重し、そのものらしい存在を生かすだろう。


逆に自然らしくないものがあるのならば、
次への成長のステップとして「教え」を築くか、
新しい生命にチャンスを与えるだろう。


それなら、
才能とは自分が置かれた環境で独自に育てるものであり、
考え方や心のあり方から個人独特の育て方となり形、
人格として現れるものだと思う。



心のあり方には良い悪いはなく、ただ成長度を示しているのだと思う。


どこからどこまでが幼児のような成長度で、
どこからどこまでが、成熟した大人の成長度かというのはわからないけど、



成熟した心は考えることもなく、自然らしいあり方であるということ。


多分、これが「さとり」であり、
神様に近い場所に成長した状態なんだろうなぁ。




幼児になぜ思いやりがないのか?と質問するのはタブーであって、
心のあり方が成長していないだけで、幼児にとっとは普通であり
悪気があってしている行動でもないからねぇ。 

当然、見かけは子供だけど心は立派な大人の子供?もいるしねぇ。



僕たち大人も同じことで、なぜ嘘をつくのか?
っと質問するのはタブーであって、
嘘をついているのは大人ではなくて
未熟な心の持ち主が嘘をついていたり、
「思いやりの心」がモラルに反しない範囲で
真実を証さないことだってあるだろうねぇ。

(鉄腕アトムの最終回のように。。)





心の成長度として人を見かけで判断しないようしてみると、
嘘をつかれたり、邪魔されたり、利用されることがあったとしても、
「そっか。 それなら仕方ないねぇ。」とか、
「成長されるのが楽しみですねぇ。。」という具合に
受け入れられるようになるもの。



サンタモニカのビーチでお城を壊された大人は
子供に本気で怒るのではなく子供だから壊された。。と理解できれば、
子供さんに壊された悲しさを違った言葉で表現すれば、
子供も思いやる心が育つもの。


壊したから、→ 怒られた。
という思想回路から、


壊したら、→ 悲しんでいる。
という思想回路へワイヤーするのはどうかなぁ。






世の中で起こり得る出来事は自分ではコントロールできないけど、
怒ってしまった事が自分にとってどのような意味であるのかは
コントロールできる。



以前何度となく登場するこのフレーズ。
本当にシンプルでパワーがある言葉だと思うなぁ。



【質問の仕方を変えてみる】

理屈はわかっていても、
どうやったら考え方を成長させることができるのか?

良ーく考えてみると。。
考え方の殆どは「質問」から始まっているんだよねぇ。




シナリオ:

砂で造った城が壊される 
↑起きてしまった出来事




頭の中:

「なぜ、こんなことが起きたのか?」または、

「ぜぜ、こいつは僕の城をこわしたのか?」または、

「なぜ、僕の城だけを壊したのか?」などなど。。



起きてしまったことは変えられないのに、
「なぜ、◯◯だったのか?」という質問をしても脳は混乱してしまう。





脳の答え:

「ソンナコトイッタッテ、トツゼンデシタノデ。。」
とは脳は答えない。。汗

(↑コンピューターっぽい表現でしょう?笑)




「ソレハ、コドモガ ワルイノデス。。」
とか、

「ナゼナラ、キミハウンガワルイカラ。。」

など

 真実ではない答えを出してしまうだよ。


当然心が乱れ、ストレスを発するために怒りだす。
周りから見ればどっちが子供なのか?。。汗




行動の発端は考え方であり、
考え方は心のあり方から造られる。






ローマ帝国時代、
帝王のアドバイザーとして清い信仰を伝えていた哲学者セニカは
こんなことを言っていたよ。



Every good outcome begins with the right question..
And the only question you should know is.. “Why Not ?”


良い結果をだすためには正しい質問から始める。
その質問とは。。「わい・なっ?」




この「わい・なっ?」
通訳するのも結構意味が深いんだよねぇ。



Why - なぜ 
Not - じゃない


っと書けばそれだけなんだけど、


「なぜ?じゃないでしょう」
とか、


「なぜだめなの?」
とか、

「いいじゃん。。」
みたいなニュアンスだよねぇ。




つまり、
起きてしまったことになぜ?と質問するのは
今という時間にはあまり効果がなく、

起きてしまったことに対して、
「まぁ。いいじゃん。」って
現実を受け入れることができる
魔法を秘めているんだって。




現実を受け入れることができれば
次は冷静にその出来事を判断することができる。




「わい・なっ?」
(まぁ こんなこともあり得る?。。か。)



「それでは、この出来事はどういう意味なのか?」



「この子供に思いやりを教えることができるチャンス。。」






突然、ストレスだった大事件が
子供に投資できる大チャンスへと変化したわけだねぇ。








しかも、一瞬で。





「なぜだって?」



「Why not?」笑









考え方にはお金も掛からないし、家系や権力も必要ない。



だから自分1人で練習するだけで、
誰でも簡単に裕福な心の持ち主になれる。



でも、考え方を練習せず動物的に反応しているばかりでは、
歳をとっても心は未熟のまま。 


周りにもいないかな?
そんな大人と気取っている未熟な人。。



結果、心は乾いた畑のように荒れてしまい、
何も耕すことができない人となる。



何も耕すことができなければ、
人から奪おうとする欲が生まれ、
嘘、嫉妬、嫌がらせという行動へと変化してしまう。

本人は悪いと思っていない。

ただ、考え方の違いから
「生き方」にも大きく違いが生じているだけ。






裕福で幸せ豊富な持ち主は
常に心を耕し考え方を成長させているという。




彼らは常に
「わい・なぁ?」と様々な問題を
チャレンジとして受け入れているようだ。




これが「心耕」という意味であり、
生きている喜びなんだと思う。











See ya,


:D

July 2011
Los Angeles, California