ダヴィデ | カリフォルニアの建築家日記

ダヴィデ

【Davide】
ダヴィデ

子供の頃両親が子供用に出版された
世界中のアーティストを紹介する図鑑を購入してくれた

毎月一冊送られてくる
全部で二十巻ぐらいあっただろうか。
第一巻がレオナルド ダ ヴィンチ
第二巻がミケランジェロだった

カリフォルニアの建築家日記

別にアート教育といった大げさな教育を受けたことでもないが、
ものこころつく前からマスター達のアートを眺めることができたことは
今の自分にとってとても大切な経験で
両親には本当に感謝している。


レオナルドの「モナリザ」や ミケランジェロの「ダヴィデ」など
すばらしいアートは理論や思想を知る前に
子供の自分にも興味を誘い
じっと眺めていたのを覚えている。

マスターが創るアートは説明がいらい。

世界中一人一人自分なりの考えがあり、
歴史の背景で「真実」も変わる。

でも、
「数字と感情」だけは常に変わらない。


昔も未来も悲しいものは悲しいし、嬉しことは嬉しい。

これが「Natural Language」または「Universal language」ではないかな。

そんなことを考え始めたのが
フィレンゼで実際にみたダヴィデとの出会いだったと思う。

結果、ヨーロッパに留学中、レオナルドとミケランジェロの作品を中心に
時間が許される限りすべて訪ね 見て触った。

作品を見る時、いつもこんなことを想像する

彼らが生きている時、世の中はどうだったのだろうか?
見かけやテクノロジーは違うけど
同じ毎日/時間を過ごしていたはずだな

世間では毎日不平を言う人もたくさんいただろうし、
政治や名誉に溺れる人もたくさんいただろう。

いつの時代も
お金はいくらあっても足りないと思っていただろうし、
時間の使い方や、人生の意味など、
いろいろなことを考えることは。
昔も今も同じなのかもしれない。


人生に与えられた時間内に
彼らは理解できないほのどアート/建築を次々と創った。

ミケランジェロがダヴィデを掘るとき
どんな心境だったのかな。

夜も一人で掘ってたのかな。


ミケランジェロ自身、死んだあとなんて考えていなかっただろうな。

周りから見れば「いそがしくてたいへんですね」だったのかもな。



だれが決めたのでもなく、自分でやると決めたこと。

一度決めたら、なにも求めず、ただ進むべし。




D.