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てにを舎の考具 考える日本語®

日本語を学びなおしてみると、今まで気づかなかったルールや魅力が見えてきます。
少しだけことばに意識を向け、日本語について考えてみませんか。

私たちは、無意識に閉(し)める閉(と)じるをどちらの読みで言うか使い分けています。


例えば、「そこの窓をしめてください」「ドアがしまりますので、ご注意ください」。

この場合は、閉めるを使います。


「本をとじてください」「雨がやんだ。傘をとじよう」「あそこで目を閉じているのが、田中さんです」など、こちらは閉じるを使っています。


では、「閉める」と「閉じる」は同じなのでしょうか。それとも言葉が持つ意味自体が違うのでしょうか。


『新明解国語辞典』では、閉じるは「開いていたものが合わさって行き来ができなくなる」「続いていた組織や催しが終わりになる」「開いていたものをくっつけ合わせ、空間を埋めふさいで行き来ができないようにする」とあります。


閉めるは「あいていた戸・門・鍵などを閉じる」とあり、違いがよく分かりません。


いろいろと調べてみると、
「閉める」には、「動かして空間をなくすこと」「動かすことで人や物の移動を不可能にすること」といった動作性が強く表現されるような時に使われているようです。


一方、「閉じる」は、もともと「綴じる」が語源としてあるため「中が見えないような状態にすること」「ばらばらになっていたもの、離れていたものをくっつけて全体を一つにすること」といった完結性に力点が置かれているように感じます。


ただし、これが正解というところまではたどり着きませんでした。


だからふだん私たちは、まぶたをくっつけるという動作に意識を向けていないので、動作性を表わす閉めるは使いにくい。


一方、まぶたがくっつけることで見えなくなるという状態に意識が向いているので、完結性の意味を持つ「閉じる」を使っているのではないでしょうか。


動作に視点があるのか、完了した状態に意識があるのかで言葉を選んでいるなんて、なんとも不思議ですね。

今日は節分です。きっとニュースでは各地の神社などで、有名人が豆をまく映像が流れることでしょう。


節分は、文字どおり「季節を分ける」という意味です。もともと春、夏、秋、冬の年4回あった「節分」ですが、現在では冬から春へと季節が移る「立春」の前日のみ、その風習が続いています。


聞いたところによると、今は衛生面や掃除のしやすさなどから、袋に入れた豆を投げる家庭もあるそうです。また、豆まきはせずに「恵方巻」を食べて終わりという人たちも増えてきています。


昔ながらの節分=豆まきという風習が薄れていくのはちょっと寂しい気がしますが、そもそもなぜ、節分に豆をまくようになったのでしょうか


春の節分は、旧暦の大晦日に当たります。
平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事が行われていました。室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し、民間にも定着していったようです。


この豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っており、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に由来しているという説もあります。


しかも生の前でなく炒った豆を使うのも、生の豆では拾い忘れた豆から芽が出てしまうと縁起が悪いからと言われています。

「炒る」は「射る」に通じ、また、鬼や大豆は陰陽五行説(「木」「火」「土」「金」「水」の五行)の「金」にあたり、「金」の作用を滅する「火」で大豆を炒ることで、鬼を封じ込めるということです。そして最後に人間が豆を食べることで、鬼を退治したのです。


古くから続く、風習にはいろいろな知恵が残されているわけです。「こじつけ」と言ってしまえばそれまでですが、気持ちを切り替える、行動を見直すといった自分を振り返るきっかけに、節分の行事を利用してみてはいかがでしょうか。

今朝、ふと考えました。
いま、私たちが使っている言葉に、外来語はどのくらいあるんだろうか、と。

電車に乗っていた時、駅の放送が聞こえてきました。

武蔵浦和です。三番線の電車は、池袋行きです。

ここまでは、日本語でした。

で、そのあとです。
間もなく、ドアが閉まります。閉まるドアにご注意ください。

このドアは、扉ではだめなんでしょうか?

さすがに12月は師走と呼ばれるだけあり、慌ただしい毎日が続いています。
ブログの更新も滞り気味となっていますが、この1年なんとか続けています。

さて、久しぶりの更新ですが、今日は「」について解説してみます。


この「暇」、拘束されないのんびりとした時間を指す言葉です。何もすることがない虚無の時間の意味ではありません。
もともとは、空間的なすきまや、物の割れ目の意味の「ひ」に間がついた言葉でした。
つまり空間的にすきまがない状態を「ひま」と呼んでいました。
古くは「万葉集」や「古今和歌集」では、この意味で使っていたようです。


時間的な意味で使われるようになったのは、平安時代からで、「源氏物語」には時間的なすきまや心のすきまなどの意味でも使うようになりました


いまでは、空間的なすきまで「暇」という言葉は使わなくなっています。

まあ、暇なしと言えども「忙中閑あり」(どんなに忙しくてもわずかな暇はある)といきたいものです。

昨日の新聞記事でも紹介されていましたが、明治朝日生命が、2014年に生まれた赤ちゃんの名前ランキングを発表しました。


男の子のトップは「」、女の子のトップは「陽菜」です。
男の子はれんと読ませ、女の子はひなたひなと読ませるそうです。はるなではありません


それ以外でも男の子では大翔でひろとはると陽向でひなた、はるかと読ませています。

ひなたははるかは、女の子だけでなく男の子の名前としても人気が高くなっているようです。


女の子の他はどうかというと、3位に結菜(ゆいな)、4位は葵(あおい)、5位は結愛(ゆあ、ゆいな)です。


今までは女の子の名前に子をつけなくなったとか、男の子の名前に郎が亡くなったとか言われていましたが、すでにそれは過去のこととなり、いまは名前では男女の区別もつかなくなってきました。


ちなみに、日本では人の名前に使える漢字が決まっています。人名用漢字といい、戸籍法で決められています。
現在は、常用漢字2,136文字と人名用漢字861文字に限定されていますが、「巫」の文字を追加することが発表されています。


実は、人名漢字の読み方には特に決まりがなく、「難読」ではない限り認められているのです。