佐賀県の吉野ヶ里遺跡で
10年振りの大発見、なるか?

吉野ヶ里に行ったら
寄ってみたい処〜🐈🥤

※文中に『邪馬台国時代』という語句が多数出て来ますが、公式にはその様な時代はありません。
邪馬台国があったとされる時代=年代とされるのは、2〜3世紀、卑弥呼が亡くなったのは248年頃と記されています。


今、発掘中の謎のエリア
元・日吉神社のあった位置で
これまでは
遺跡として掘れなかった場所
因みに
日吉神社の場所には
戦国時代に築かれた日吉城砦があり
龍造寺氏関連だったのでは?との事

古墳の築山が砦の土塁に転用され
その後、神社になる 流れを思えば
謎のエリア についてのワクワクは
いやでも増しますよね〜🎶


有力者の墓とされる北墳丘墓の西側で
丘陵部の高地
見晴らしの良い場所に位置する
地位の高い人物が埋葬されるには
好立地ですね🪦👑⛏️

今回、期待されているのは

邪馬台国の時代の墓が

発掘されるのではないか?

という事のようですね😊

要するに

卑弥呼の お墓かも?

そう、期待通りにいくかな?



色々と調べ始めると
弥生時代、謎が多くて面白い🏺🌾

古墳時代は、
大手を振って😇好き!と
言える自信はあるのですが
縄文・弥生に関しては
総じて 
勉強不足だと感じております

そもそも
弥生時代って
紀元前1000年〜後300年頃までの
1300年間を指すらしい
めっちゃ長いんですね✍️🧾

そして弥生時代は
4期に区分されている
早期:BC5世紀半ば〜
前期:BC3世紀〜
中期:BC1世紀〜
後期:1〜3世紀半ば頃まで

弥生時代は
水稲農耕が始まったのを境に
時代区分がされている、と
思っていましたが
縄文時代晩期前半には
稲作(陸稲)が導入されていた、という
可能性も出て来て
🙄🌾
稲作=弥生時代とは言えないらしい
自分が習った歴史とは
また違ってきているんですね
日本列島は縦に長く
東北へ伝播していくまでに
時間もかかるからね〜😇

吉野ヶ里遺跡の位置する
有明海沿岸部は
今とは海岸線もかなり違っており
縄文海進による海面上昇で
有明海は吉野ヶ里遺跡のから
2・3㌔まで迫っていたらしい
(現在は海まで2・30㌔)
当時の吉野ケ里遺跡は
有明海・遠賀川と近く 海産物に恵まれ
水運を利用して
物流の便が良かったのでしょうか
700年ほど栄えたのち
何らかの理由で人が移動して行った


さて、
弥生時代の墓制についても
勉強しておきます😇
縄文から弥生への意識の変化は
墓制にも現れてくる
埋葬場所が
住居のそば➡集落の近隣へと変化
土壙墓(直葬)➡棺を使用する

弥生時代の墓制の段階変化
  1. 集団墓・共同墓地
  2. 集団墓内の不均等
  3. 集団墓内の特定人物或いはグループの墓域が方形に区画される
生活共同体が大きくなるにつれて
そこで生活する人や死者も増える
富と権力の集中も起こる
これがやがて ムラ➡クニとなる


邪馬台国論争の中で
昔から取り沙汰されているのは
29を数える女王連合国が
どこの地域を指すか?
対馬国、一支国、末廬国
伊都国、奴国 までは・・
たぶん ここだろう、と
目されている場所も ありますが

問題は それ以降の場所
不弥国、投馬国 〜ですよね

吉野ヶ里遺跡の住所は『石動:いしなり』
後世、鎮西山狼煙台の石垣に
当地の石を運んだ、と言い伝えがあり
石が多い地域だと認識されていた様子

はっきりと示されてはいないけど
きっと 何処かのクニだったろうな?
せっかく
肥前国風土記が残ってるんだから
クニの名前のヒントでもあれば・・
基肄郡だから支惟国
三根郷だから不彌国って ホント?


今ひとつ
何て読むの?って漢字ばっかで
よく分かりません🤔
こじつけ?あとづけ?に思える

今度の発掘で何かが見つかれば
吉野ヶ里遺跡の、ひいては
古代・日本の歴史に
新たな1ページを刻む
大発見になるかも?ですね😇