9月14日火曜日。

この日はちゃちゃの七歳の誕生日でしたバースデーケーキ

٩(๑′∀ ‵๑)۶•*¨*•.¸¸♪


ちゃちゃを家族として迎えて…

もう七年?

私の時間軸がおかしいのでしょうか

時が経つのが早すぎてついていけない感じ滝汗






ちゃちゃは私が一番辛い時に出会ったわんこ。

七年間、ずっと傍にいて寄り添ってくれておねがいちゃちゃのおかげで心穏やかに過ごすことができました。


きっと私も、知らず知らずのうちに成長できたのではないかと思います。


わんこの持つ癒しの力って凄いなぁキラキラキラキラ




記念の写真も撮りましたよ音符



おめでとう花束おねがい&ありがとうピンクハート爆笑





翌週は秋のお彼岸入り。

🚘お墓参りに行ってきました。


彼岸花がたくさん咲いていて、もうすっかり秋ですニコニコ


日本では、彼岸花を見ると何だか物悲しい気持ちになりますが、海外ではスパイダーリリーとよばれていて、ガーデニングでも人気だそうです



スパイダー🕷とか、なんかカッコイイなぁ拍手


なんて考えながら墓掃除🧹🧼



このお墓には、母と祖母と祖父…その他大勢の親戚が同居!?する大所帯滝汗



実は私の祖母は、戦争未亡人でその後母を連れて再婚しました。


そんな事情から母と祖父に血縁関係はありません。



また祖母は再婚先に遠慮したのか、母を籍には入れず(母だけが旧姓のまま)暮らしていました。



ですが、祖父はとても優しい人で、母を実の娘のように可愛いがったそうです(祖父は若くて亡くなったので私は会ったことはありません)

母もまた祖父が大好きだったそうです。


反対に祖母は、あまり優しい人とは言えず、母はもちろん、私たち孫にさえとても厳しい人でした。




祖父があまりにも母を可愛いがるので


『おばあちゃんは多分、娘の私にヤキモチを焼いてたんとちゃうかな〜』


と母は生前よく言っていました笑い泣き



私にとっても世間一般でいう《優しいおばあちゃん》ではありませんでしたが、それでも母は、弱ってきた祖母を弟夫婦(私から見ての叔父夫婦)の所から引き取り、介護を引き受けました。


亡くなるギリギリまで母に悪態をついていた祖母…

はたから見ていた私でさえ、辛くなるような介護生活に、私は一人墓の前に行き


『おじいちゃん、早くおばあちゃんを迎えに来てあげてえーん


と何度お願いしたことかショボーンこの時はマジでした💧




その後祖母が亡くなり、母もやっと自由になれてスッキリすると思っていましたが、母はずっと『淋しい、淋しい』と言っていました。



(若かった)私にはとても理解できませんでしたが、それでも母にとっては世界でたった一人の自分の母親。きっと母には母の、母にしか分からない感情があったのかも知れません…



あんなに苦労して時には泣かされて、母親の愛というものを知らずに育った私の母でしたが、それでも最期のときに





『おばあちゃんと同じお墓に入りたい』



と私に遺言を残しました。



ですが、母と祖母は名字が違うので、凄く悩みましたが、長男である叔父夫婦も快く承諾してくれ、母はいま祖母と大好きだった祖父のいる場所で眠っています




何年か前までは母と一緒にお参りに来ていたのに、その母はもう隣にはいませんえーん


ああ、あちら側に行ってしまったんだな、と時々しんみりとなりますが、お参りの度に母の喜ぶ顔が浮かんでもきます。




祖母と違って(ごめんやで。おばあちゃん笑)

自分の孫には優しすぎるくらい優しかった母。

天界からいつも私達を見守ってくれていると思いますおねがい




いつもより豪華で(笑)綺麗なお花花束と大好物の甘いものをたくさんお供えして





『また来るね。いつも見守ってくれてありがとう』


たくさんの感謝の気持ちで手を合わせました。





母親が恋しい気持ち…


今はわかるなぁー照れ