かわいいブーちゃんです◎(1:00あたりの後ろ足、どうしましょう(*゚ー゚*)
自分の心の反映がこの世界ならば、
私はなんて愛らしい動物を創造することができるのだろうと
自分の力に驚くばかり☆ははっ
自分の心が平和になればなるほど
世界も変わっていくのですって♪
しかし、かわゆい。。ㇺㇷ
かんたんな文章を入力してお金が稼げるランサーズ
暴力とは、恐れからくるものだと思う。
暴力には、さまざまな種類のものが考えられる。
たたく、ける、怒る、非難する、見下す、
無視する、冷たくする、、、、、
では、誰もがわかり易い方法で暴力を行っている人が
今目の前にいると想像したら、
それはいったいどんな人物であろうか。
その人は、
どこか自信がなく卑屈な部分を持っている
目立ちたいのに目立てない過去がある、または今その状態
自分に十分満足していない状態
本当になりたい自分ではない状態
愛で満たされていない状態
人に見下されているのではないかと他人を敵と思う傾向にある
と同時に、実は、本人が人を上下に判断しようとする傾向にある
親に十分に愛してもらえなかった過去がある(またはそういう認識がある)
とにかく今の自分に満足していない。。。。
という人を想像されただろうか、
さて、深い意味で’人は人を傷つけることはできない’そうだ。
本当にそう思う。
以前日本一と言われる大学卒の男子と会話をしてた際、
彼が言った。
ある人が自分に対して〇〇と失礼な発言をしたとしても
その相手がおかしな人間なのだから、自分はなんとも感じないと。。。
あぁ、ビックリしました(笑)
全てのシチュエーションにこの考えをあてはめるのは
少し危険なような気もするけれど、あくまでも彼は心のある人物であったので
そういう意味で、この発言をさらっと見ていただけたら幸いです。
この発言が意味していることは’決して自分を振り返るな’ということではありません。
何を言わんとしているのかというと、
人に’おまえバカ!’と言われても、
言われた人が自分のことをバカとみじんも思っていなければ
言われた人はなんとも感じないということ。
逆に、自分にその要素があると考えていれば、
電車内で’ハゲ!’’ブス!’などとだれかが発言したら
自分が言われているのではないはずなのに、
やたらと反応してしまうということ。
たとえその要素をもっていても、超越していて
そんな状態気にもしないという人は、反応しないかもしれません。
まぁ、誰かが吠えていればうるさくて耳が痛いし
ふつうにビックリするから不快になるということもありますが。
とにかく、自分が自分を認めて愛していれば、
他の人に何を言われようと極度に反応しなくても大丈夫である
ということです。
また、身の回りにある環境は、自分の心の反映であるから
自分のことをそう認識してしまっている自分がいて
それを周りの人が教えてくれているにすぎないということでもあります。
だから、その発言した人に何かしようとしても意味がないのです。
やることは、自分の心に
例えば自分は’バカである’’学がない’’学がないとダメである’
’学がないと人の役に立たない’などという
実はなにも根拠のない観念、決めつけがあったことに気づき
なんかそこに負を感じていたんだなぁ、
でもそんなの何も問題ではないんだ大丈夫なんだと
自分をあたたかく包み込んで認めてあげることが大事なのですね。
そうすると、身の回りの環境が変わってくるそうですよ。
そして、暴力は恐れからくる?! というものも
やはり、自分が色々な意味で不安定であり
自分を20世紀の誤ったいらない基準のもと、厳しく見て
充分に認めて愛してあげられていない場合、
その反応を外に向けて解消させてしまう
その結果暴力が生まれるのではないだろうか
ということをちょっと思いついたのでした。
だから、他に厳しくあたる人
なんだか意地悪な人に子供さんなどがいたら、
抱きしめてあげたいものです。
でも、そんなのちょっとむずかしいかな(笑)
でもこういう認識が(間違っていたらごめんなさい)
少しでも多くの人に広まれば、
自分で自分を癒そうとしたり、
どうしても暴走してしまう身内や友達、子供がいたら、
だまってハグしてあげたり、
大丈夫だよってひと言でもかけてあげて
もっともっと世の中が素晴らしいところになっていくと思うのです。
ものごとは、自分がそのとき見たと判断したところだけではない可能性が非常に高いですね。
毎日鏡で見る自分が’真正面の顔だけ人間’ではなく、
側面もあり、背面もあり、頭のてっぺんや、足の裏もあり
決して見ることのできない心も持っている存在であることのように。
最近学校の体罰問題がありましたね、
あれも’先生がいけない!’と簡単に判断できないかもしれません。
その学校の集まりで、ある生徒さんの父親が
私はここが母校ですけれど、先生もがんばってくださいという発言をされていました。
ハッとさせられました。
そちらはスポーツが強い学校でもあるようですね。
調べてもいないのにすぐこんな発言をするのもよくないかもしれませんが、
あまりお勉強向きではないけれど元気がいっぱいで、
素行の悪い子が集まってしまう学校というのは
その子供たちのエネルギーをスポーツで発散させようと
体育系の部活に熱心になると(塾関係者から)伺ったことがあります。
ひょっとしてそういう学校だったのかなと…。
たとえ小学生の生徒さんでも、ものすごいエネルギーの子を
相手に授業を行い、教えるべきものをわかり易く教えて
吸収してもらおうということは、信じられない位骨の折れることです。
私はなぜか塾内なのにやけどをさせられそうになったこともあります(笑)
それを考えると、身体も大人と同じぐらいに育ち、
しかも大人数をまとめていくとなると、、どんな状況だったのでしょうか。
だからといって、暴力を容認してはなりません。
理不尽すぎる暴力が行われていたのならば
それは問題です。
でも本当に危険な子がいて、社会にもそういう人のために警察や刑務所もあることはご存じの通りで、、、、、
でも、自殺された方はそういう類の方ではなかったと…
わかりませんが、、、、
でも、先生も大変であることはご承知いただきたいところもあります。
子育てをされている方々が一番よく理解できるのではないかもしれません。
1人や2人ではありません。
1人に何かを言い聞かすのも大変なのに、
集まると、その集まった数ではなくそれ以上にパワーを増してしまう群衆を相手に
しきる役目の人間が先生であるということを…
若いころからいきなり先生という立場に立ち
心が幼いまま勘違いした人間になってしまっている’先生’もたくさんいるでしょう。
でも、それを止められない’環境’または’制度’、
’構造’にも問題があったかもしれません。
個々人がそこまで極悪でなくても、
たとえば、その会社の構造であったり社会の構造に
問題があると、全体的に不幸なつくりになっていたり
ある一部の人だけ集中的に被害を被ることだってあるでしょう。
とにかく’つくり’’構造’に、
個々人の’心の在り方’が見直され
みなが心平和に自分らしく、幸せに存在できる世界を望みます。
あまり美しくない文章と
超長文をここまでお読みいただいたことに
恐縮すると共に感謝いたします。
新年早々、熱いぜっ(笑)
ここまでお付き合いくださったあなた様のお心は、
きっと仏様に近いものなのでしょう。
(なんかふざけてる?いいえ、本気です。
ありがとうございました。)
暴力には、さまざまな種類のものが考えられる。
たたく、ける、怒る、非難する、見下す、
無視する、冷たくする、、、、、
では、誰もがわかり易い方法で暴力を行っている人が
今目の前にいると想像したら、
それはいったいどんな人物であろうか。
その人は、
どこか自信がなく卑屈な部分を持っている
目立ちたいのに目立てない過去がある、または今その状態
自分に十分満足していない状態
本当になりたい自分ではない状態
愛で満たされていない状態
人に見下されているのではないかと他人を敵と思う傾向にある
と同時に、実は、本人が人を上下に判断しようとする傾向にある
親に十分に愛してもらえなかった過去がある(またはそういう認識がある)
とにかく今の自分に満足していない。。。。
という人を想像されただろうか、
さて、深い意味で’人は人を傷つけることはできない’そうだ。
本当にそう思う。
以前日本一と言われる大学卒の男子と会話をしてた際、
彼が言った。
ある人が自分に対して〇〇と失礼な発言をしたとしても
その相手がおかしな人間なのだから、自分はなんとも感じないと。。。
あぁ、ビックリしました(笑)
全てのシチュエーションにこの考えをあてはめるのは
少し危険なような気もするけれど、あくまでも彼は心のある人物であったので
そういう意味で、この発言をさらっと見ていただけたら幸いです。
この発言が意味していることは’決して自分を振り返るな’ということではありません。
何を言わんとしているのかというと、
人に’おまえバカ!’と言われても、
言われた人が自分のことをバカとみじんも思っていなければ
言われた人はなんとも感じないということ。
逆に、自分にその要素があると考えていれば、
電車内で’ハゲ!’’ブス!’などとだれかが発言したら
自分が言われているのではないはずなのに、
やたらと反応してしまうということ。
たとえその要素をもっていても、超越していて
そんな状態気にもしないという人は、反応しないかもしれません。
まぁ、誰かが吠えていればうるさくて耳が痛いし
ふつうにビックリするから不快になるということもありますが。
とにかく、自分が自分を認めて愛していれば、
他の人に何を言われようと極度に反応しなくても大丈夫である
ということです。
また、身の回りにある環境は、自分の心の反映であるから
自分のことをそう認識してしまっている自分がいて
それを周りの人が教えてくれているにすぎないということでもあります。
だから、その発言した人に何かしようとしても意味がないのです。
やることは、自分の心に
例えば自分は’バカである’’学がない’’学がないとダメである’
’学がないと人の役に立たない’などという
実はなにも根拠のない観念、決めつけがあったことに気づき
なんかそこに負を感じていたんだなぁ、
でもそんなの何も問題ではないんだ大丈夫なんだと
自分をあたたかく包み込んで認めてあげることが大事なのですね。
そうすると、身の回りの環境が変わってくるそうですよ。
そして、暴力は恐れからくる?! というものも
やはり、自分が色々な意味で不安定であり
自分を20世紀の誤ったいらない基準のもと、厳しく見て
充分に認めて愛してあげられていない場合、
その反応を外に向けて解消させてしまう
その結果暴力が生まれるのではないだろうか
ということをちょっと思いついたのでした。
だから、他に厳しくあたる人
なんだか意地悪な人に子供さんなどがいたら、
抱きしめてあげたいものです。
でも、そんなのちょっとむずかしいかな(笑)
でもこういう認識が(間違っていたらごめんなさい)
少しでも多くの人に広まれば、
自分で自分を癒そうとしたり、
どうしても暴走してしまう身内や友達、子供がいたら、
だまってハグしてあげたり、
大丈夫だよってひと言でもかけてあげて
もっともっと世の中が素晴らしいところになっていくと思うのです。
ものごとは、自分がそのとき見たと判断したところだけではない可能性が非常に高いですね。
毎日鏡で見る自分が’真正面の顔だけ人間’ではなく、
側面もあり、背面もあり、頭のてっぺんや、足の裏もあり
決して見ることのできない心も持っている存在であることのように。
最近学校の体罰問題がありましたね、
あれも’先生がいけない!’と簡単に判断できないかもしれません。
その学校の集まりで、ある生徒さんの父親が
私はここが母校ですけれど、先生もがんばってくださいという発言をされていました。
ハッとさせられました。
そちらはスポーツが強い学校でもあるようですね。
調べてもいないのにすぐこんな発言をするのもよくないかもしれませんが、
あまりお勉強向きではないけれど元気がいっぱいで、
素行の悪い子が集まってしまう学校というのは
その子供たちのエネルギーをスポーツで発散させようと
体育系の部活に熱心になると(塾関係者から)伺ったことがあります。
ひょっとしてそういう学校だったのかなと…。
たとえ小学生の生徒さんでも、ものすごいエネルギーの子を
相手に授業を行い、教えるべきものをわかり易く教えて
吸収してもらおうということは、信じられない位骨の折れることです。
私はなぜか塾内なのにやけどをさせられそうになったこともあります(笑)
それを考えると、身体も大人と同じぐらいに育ち、
しかも大人数をまとめていくとなると、、どんな状況だったのでしょうか。
だからといって、暴力を容認してはなりません。
理不尽すぎる暴力が行われていたのならば
それは問題です。
でも本当に危険な子がいて、社会にもそういう人のために警察や刑務所もあることはご存じの通りで、、、、、
でも、自殺された方はそういう類の方ではなかったと…
わかりませんが、、、、
でも、先生も大変であることはご承知いただきたいところもあります。
子育てをされている方々が一番よく理解できるのではないかもしれません。
1人や2人ではありません。
1人に何かを言い聞かすのも大変なのに、
集まると、その集まった数ではなくそれ以上にパワーを増してしまう群衆を相手に
しきる役目の人間が先生であるということを…
若いころからいきなり先生という立場に立ち
心が幼いまま勘違いした人間になってしまっている’先生’もたくさんいるでしょう。
でも、それを止められない’環境’または’制度’、
’構造’にも問題があったかもしれません。
個々人がそこまで極悪でなくても、
たとえば、その会社の構造であったり社会の構造に
問題があると、全体的に不幸なつくりになっていたり
ある一部の人だけ集中的に被害を被ることだってあるでしょう。
とにかく’つくり’’構造’に、
個々人の’心の在り方’が見直され
みなが心平和に自分らしく、幸せに存在できる世界を望みます。
あまり美しくない文章と
超長文をここまでお読みいただいたことに
恐縮すると共に感謝いたします。
新年早々、熱いぜっ(笑)
ここまでお付き合いくださったあなた様のお心は、
きっと仏様に近いものなのでしょう。
(なんかふざけてる?いいえ、本気です。
ありがとうございました。)