2026・1月 空間瞑想の指導者和泉さんのメッセージ
迎春
今年も皆さんが祝福された良い年でありますように 合掌
[現代の中にある洞窟」
洞窟に
朝陽浴びたる静けさに
夜は輝く星に抱かれ (イーサン)
現代人の心の奥底には、悠久の昔洞窟に住んでいた記憶が
眠っているのではないか。
他に何物も所有していない“いのち”そのものの存在としての人間が生きている空間。
そこで「私」は何を想い、どのような意識で生きていたのか。
洞窟から出て、その後の文明・文化の発展で獲得したすべてのものが存在しない、原始の洞窟と人間。
家族と共に「いのち」を守り繋いでいくことが
意識の中心であったであろうと想われる生き方。
人間のいのちは、他の動植物と同じ自然の一部として、
自然の法則に逆らっては生きていけないことを本能として生きている意識。
洞窟の前に立ち、朝陽を浴びて原野を見下ろす原始の「私」を想うとき、
その「私」はただただ世界を見て、
そのすべてを受け入れていたに違いないと想われる。
自然と世界と私は一体であるという感覚である。
“自然の存在”としての「私」以外のものが存在しない「私」である。
科学文明の発展の極みで起こる狂気の出来事は
今に始まったことではなく、人間が洞窟を出たときから
脈々と続けられてきたことだ。
破壊と創造と人殺しは、ジバ神の代役として人間に運命づけられた仕事なのだろうか。
しかし、その心が技術を高度化し、人間を進化させてきた主役であったのは
疑う余地がないだろう。
現代の都市に洞窟は存在しないが、
かつて「市中の草庵」という一つの現実を創造した人間がいた。
400年以上も前に
戦争による破壊と創造、飢餓と疫病と街の喧噪の中に
別世界のような草庵を築き、静寂の中で一服の茶を
無心に頂く。茶道である。
失われた自然の中でアマゾンの原住民ですら
洞窟で生きることは困難だが、
「原始の洞窟」は、いま私たち一人一人の心のさらに内奥に、
永い激動の時の流れにも侵されることなく存在している。
それは生きとし生けるものの存在の根本だからだ。
「原始の洞窟の意識の空間」に安住するとき、人はそのままで
「愛されて在る存在であること」を気づかされるだろう。
それは心理的な作用によるものではなく、
私の根本の存在意識であり、個人的存在という意識を超えた
すべてに普遍する純粋意識そのものの“気づき”である。
その“気づき”のとき、他者と分離した意識はなく、
他者と繋がろうとする欲求すらない、私と他者はすでに一つである。
「洞窟」は現代を生きる私たちすべての人の中に存在する。
それに気づくことのプロセスを探究という。探究には正しい方法があり、
激しい時代の流れに翻弄されながらも探究し続けることができる。
「内なる意識の洞窟」の存在を信じて真剣に探究することで、
原始の洞窟に「私は在る」ことを発見することが出来る。
現代においてそれが何の役に立つのか。という声が聞こえてくるようだ。
真理を知ることに、役に立つ、役に立たないという質問に意味はないだろう。目的意識は偏向し障害となる。
自己を知ることなくその果実を得ようとするほど危険なことはない。
そこに真の幸福は見出せないだろう。
心のさらに奥深くにある「原始の洞窟」の中で深く瞑想するとき、
現代の私たちが生きていることの意味が問われるが、
人間の存在の本質とは何か、
その問いそのものも消えて、「ただ在る」ことだけが、
唯一確かなものとして実感されるだろう。
真我の道を探究する者に祝福がありますように。
2026・1月 和泉好彦