E太郎。

そう呼ばれた男がかつていた。
昔LAWSONのロッピーでゲームや何やらがとれるみたいなCMがあった。
やったこともやってる人を見たこともない。
未だベールに包まれているその内容。
そのCMにはテーマ曲があった。
A、B、C、D、E太郎~♪
E太郎はふつうの少年~♪

小さいころいつも幼馴染姉弟と僕ら兄弟の四人でいつも遊んでた。
決まって遊ぶ公園でいつも通り遊んでいると突然クレイジーなやつが現れた。
僕らを順にA太郎、B太郎、C太郎、D太郎と称し、そのクレイジーな彼をE太郎と呼んで遊んだ。

小学校の入学式。
僕がクラスを見渡すとそこにはE太郎がいたのだ。
公園での偶然の出会いからこんなことが起きるとは。

E太郎は本当にクレイジーなやつだった。
フラストレーションが溜まると頭に血が上るのか顔を真っ赤にして自分の顔を鼻血が出るまで殴り続けた。
コテンパンにしたせいで結局顔は真っ赤なまま。

クラスにいたマドンナ。
掃除の時、そのマドンナがスカートで雑巾掛けをすると自ずとパンツが見える。
高学年くらいになるとブルマみたいなのを履くが、そこは小学一年生。まだまだパンツをおっぴろげて雑巾掛けをする。
そんなマドンナのあとに雑巾掛けするのはおいしいが恥ずかしかったりする。
僕は昔女の子が苦手だった。興味がなかったわけじゃないんだけどとりわけコミュニケーションが下手だった。
初恋を覚えたのも中二の頃だ。
今は真逆になっているが…

まあそんなわけで僕がマドンナの後ろを雑巾掛けするわけもなく、僕は恥ずかしがるE太郎を無理やり、しかしE太郎も満更ではなさそうに雑巾掛けのあとを続いた。

マドンナが教室の端まで拭き終わったころE太郎はまだ真ん中くらいだ。
しかしそこからE太郎は立ち上がり振り向いて洗面所にダッシュで向かった。
鼻血を出してしまったのだ。

こんなマンガみたいな事があるだろうか。
きっとE太郎が情事を行ったら女からではなく、E太郎の鼻血でベッドが、血まみれになるんだと思う。


E太郎はそのあと直ぐに転校してしまい、それ以降は知らない。
ただこんなにも記憶に焼きつく小学生の頃の記憶はそんなにない。

こんなどうでもいいことなのに。

得てして人はどうでもいいことを覚え、肝心なところを忘れたりする。

また忘れたくないことを忘れてしまったり、忘れたいことを忘れられないなんてこともよくある。

なんてネガティブなんだろう。

言いかえれば嫌なことのほうが記憶に焼きつくんだとおもう。

彼女との会話なんて一つも、憶えてないのに、振られ文句だけは忘れられないとか。

どんどんネガティブになっていく。
まさかE太郎の話からここまでネガティブになるとは…

E太郎は本当にクレイジーなやつだ。
僕は十代というものに大きな意味を感じている。
なぜだろう。成人の境だからなのか。
正直よく分からないけど、日本人なら誰でも小さいころに植え付けられた「二十歳なったら大人」っていう考え方によるものかもしれない。
とにもかくにも感覚的に二十歳になることは僕にとって酷く重いものだ。
実際現実的にも重い。
年金とか収めなきゃいけないわけだし、面倒なことが今より増える。
十代はそんな「大人」になる人のための準備期間。
そして今僕が迎えようとしてる19歳はその準備期間の最後の調整段階といえよう。
大人の階段残り368段くらいだろうか。
そんな十代は慎重に、しかし大胆にいきたい。
僕らと同年代で、大学生ではない人がいる。
実際に社会にでて働いてる人や専門学校生やフリーター(これは論外だが)
などなど。
そんななかでも特殊なのが浪人生。
蛹のような期間を一年間送るわけだ。
浪人生は一年間という時間を勉強に励みながら思考に使える。
とても羨ましい。
が、僕は絶対浪人なんかする気なかった。
というか、落ちる気がなかった。
いわゆる滑り止めも受けたし、大学生にならないって手段は僕には考えられなかった。
なぜかって。
それはこの十代最後の年に重みを感じているからだ。大学生として十代最後を過ごしたかったからだ。
これは大学に入る前より入ったあとの方が強く感じる。
僕がが思い描いてた生活よりはるかに自由度が高いし、時間を作れる。
そんな大学生活で大人になる準備をできてる自分を幸せにおもう。
だが、実際自分と同じ学年である浪人生とではアドバンテージは浪人生に上がるのは事実だ。
そもそも年齢が一つちがうのだから当然のことであろう。
しかし自分と同い年の浪人生とでは確実に僕らに軍配が上がると僕は思う。
気づいたら二十歳になってるやつと、思考しながら二十歳になるやつとでは後者の方が強いに決まってる。
僕は後者になる。

さて、今日はなんの日であろうか。
世の中ではバレンタインデー。
僕には確か人生で一度しか縁がなかった行事だ。
僕は冬の行事に弱いのだ。
本当に思う。
でも去年だけは違った。
去年だけは強かった。
今日は僕が現在通っている大学の入学試験のちょうど一年前だ。
本当にドラマティックな受験を僕はしたと思ってる。
ここでは割愛するが、ドラマティックと呼ぶに不足ないことが当日に起こったのだ。
とにかく受験は僕に様々な事を与えてくれた。
なかでも一番は友人の存在だ。
僕は支えられて人生の第一の峠を超えたと思ってる。
総評してとても有意義な関門だった。
それを去年乗り越えたことで、十代を大学生としてすごしている。
まだまだ壮大なスケールとは程遠い生活だけど、自分のこのイメージを大学生のうちに必ず実現させる決意を胸に文書としてここに残す。

追伸
これからブログは定期的に書くけど、こんな堅苦しいものではなく、もっと日常的なものにする予定です。
よろしくお願いします。