
ビジョニングコーチ 砂羽美佳さんのブログより転記します。
ビジョニングコーチの砂羽美佳(さわみか)です。
先日開催した、「しつもん女子会」で
最後に、それぞれが参加者に聞いてみたい【しつもん】を
シェアしあったのですが
私が考えたしつもんは
「自分が死んだ時、どんな人だったと言われたいですか?!」
でした。
その時、参加者のおひとりに
「みかちにとって、死はいつも近くにあるんだね」
と指摘を受けて、初めて気付いたのですが
そう、私にとって「死」は
いつも近くにあるかもしれない。
・・・・なんていうと、日々そんな重たいこと考えてるの?
と言われそうだけれど、
重苦しいものでもなんでもなくって
「人生は有限」
という意識が、常にあるということ。
たぶんそれは、目の前で友人を喪ったあの時から
私の中に、刻まれたものだと思う。
人はみんな、
いつか死ぬ。
それは、疑いようもない事実で、
そしていつその「終わり」が来るかは
誰にも分からない。
最近、年のせいか、予期せぬ悲報を聴いたり
「余命」という言葉を聴く機会が増えてた。
その度、立ち止まっているヒマはないな、って思う。
自分が幸せになるために、
自分の大切な人を幸せにするために、
迷っているヒマなんて
1秒足りとてない。
私が、毎日を全力疾走で生きている原点って
おそらくここにあるんだと思う。
これは私の、勝手な自論なのですが
毎日を懸命に真摯に生きるのって
「今」を生きている人の義務であり、
いざなにかあった時に、
遺された人を哀しませないためのものだとも、思っている。
もし私が、なんらかの理由で、
明日ぽっくり逝ってしまったとしても
「いい人生だったね」
と思ってもらえるような
幕引きをしたい。
「もっとあれをしてあげたかった」
「これが心残りだったんじゃないか」
そんな思い残し、やり残しは
きっとそのまま、遺された人の心残りになってしまう。
とりわけ、ひとり息子に対する想いは強いので、
もし私が、彼に「愛していたよ」と伝えることなく
逝ってしまったとしても
どれだけあなたが、愛されていたか
どれだけあなたが、母である私にとって
生きる歓びだったか
どれだけあなたの母が、人生を本気で遊び倒して全うしたか
伝わるよう
このブログですら、
遺書のつもりで書いている。
たぶん、想っている以上に
人生は短く
想っている以上に、
自分の思い通りに身体が動く時間は短い。
だとしたら、
自分が本当にやりたいこと
自分が本当に選びたいこと
親とか、世間体とか、
一般常識とか、まわりの目とか
そんなどうでもいいちっぽけなこと気にして
躊躇しているヒマなんて
1秒もないと思うんだよね。
少なくとも、誰かが生きたかった今日を生きている私は
自分に誇れる、生き方をしていくぞっと。
=====引用終了======
このブログを読んで鳥肌が立ちました。若い世代の人が
生きる意味について、ここまでハッキリ、ストレートに
書いてあるものを見たことが無かったので・・・凄い!
私のブログを読んでくれている皆さんは、人生は有限って
理解はしていると思いますが、ここに書かれているような
覚悟は出来ていますか?如何でしょうか?
ちなみに私は、出来ていません(T_T) 今から変えていきます!
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想いの届けびと 鈴木 優治
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