田沼武能『難民キャンプの子どもたち』(岩波新書) | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 時に写真は文字や言葉よりも多くを語る。というか,写真でしか伝わらないことがある。そのことを掲題の田沼武能さんの本から強く感じた。本来なら『現代思想』最新号の特集「パレスチナから問う」について書くべきところだが,どうしても田沼さんの撮った子どもたちの写真が瞼の裏に焼き付いて離れないので,この本について二言三言,書き残しておこうと思った。

 

 筆者が初めて難民キャンプの子どもたちを撮ったのは1974年,レバノンの首都ベイルートのパレスチナ難民キャンプにおいてであった。それから2000年初頭までに中東,東欧,ベトナム,アフガニスタン,アフリカなど各地の難民キャンプの子どもたちを撮り続けた。本書は,それらの写真の集大成,ベスト版といったところであろう。何枚の写真が本書に収められているか,ちゃんと数えていないのでわからないが,全196ページ中,半分ぐらいは写真で占められているのではないか。写真以外のところは,筆者の解説や感想が書かれている。

 

 難民キャンプの子どもだから,当然,戦争や紛争,災害や飢えなどさまざまな苦難に直面しているわけだが,本書の写真に出てくる子どもたちからは,そうした苦難を乗り越えて前向きに生きようとする姿勢が強く感じられた。アフリカなどでは栄養失調で骨と皮だけの子どもたちの写真もあって心が痛むが,全体的には,苦難に負けずに力強く生きる子どもたちの意志やエネルギーを感じさせる写真が多かった。そういう写真から,私は希望を捨てないで生きることの尊さを学んだ。

 

少女は骨と皮だけと表現した方がよいほどやせ細っている。それでも私に向かって笑顔を見せる。それがいっそう痛ましく感じる。

(田沼武能『難民キャンプの子どもたち』岩波新書p.107)

 

 仕方のないことなのだが、悲しかったのは,子どもたちの遊びに,戦争や民族対立という大人の社会が反映されていたことである。ベイルートのパレスチナ難民キャンプでは,子どもたちが手作りの小銃や機関銃を持って戦争ごっこをしていた。「敵機襲来!」のかけ声がかかると,全員が空に銃を向けて「ダダ・ダ・ダ・ダッ」と叫ぶ。遊びとはいえ実戦さながらである。戦中の日本の子どもたちもそうだったのだろう。パレスチナ・イスラエル紛争の影響が子どもたちの遊びにも色濃く表れている。子どもたちの表情には希望と悲壮が入り混じっていた。

 

パレスチナ難民の子どもたちは,少々のことではへこたれない。子どもなりに「祖国をわれらに」という民族的悲願を親たちから教えられているのだろう。

(同書p.11)

 

 

 アフガニスタンのタリバーン政権下では,女性が学校で教育を受けることは禁止されていたが,ユニセフの強い要請で避難民キャンプ内だけで女子の授業が許された。その授業の時の女子たちの真剣な表情が忘れられない。瞳が輝いているのだ。学ぶことの喜びをかみしめているようだった。

 

 コソボ紛争で難民キャンプに収容されたアルバニア人の少女が,

♪この冬 あなたたちは勇敢に戦った

セルビアの人があなたたちに苦しみを与えた

母を殺し おばあちゃんを殺し 子どもたちを殺した

私たちアルバニア人は この戦いでなくなった人びとを

誇りに思う

という詩を一生懸命暗誦している様子が写真に写っている。実はその少女の両親はコソボで亡くなっているが,そのことをその少女はまだ知らない・・・

 

 子どもたちには民族間の内戦や紛争の詳しい事情など知るよしもない。難民となった子どもたちは,好き好んで難民になっているわけではない。その多くは,大人たちが起こした紛争や戦争に否応なく巻き込まれ,悲劇の渦中に置かれてしまったのである。

 

 子どもは大人社会を映し出す鏡だ。難民の子どもたちを飢えから救い,十分な食料と教育を与えるには,「平和」を築くしかない。それは大人たちの責務だ。実はそのことを一番よく分かっているのは子ども自身なのだ。紛争が絶えないスーダン南部の子どもたちが白い紙に欲しいものを書いて,筆者に見せてくれたという。その中に「PEACE ONE」という文字があった。

彼らは貧しい英語の知識を駆使し,単語を並べて「平和がいちばん」と意思表示していたのだ。 (同書p.196)

 

 その写真を見たとき,私は胸が熱くなると同時に,戦争は二度としないと決めた平和憲法を子どもたちのためにも守らねばならないという決意を一層強くした。平和憲法は日本,いや世界の宝だ。それを守ることは子どもたちに対する私たち大人の責任だ。「PEACE ONE」には,そんなメッセージも込められているように思えた。

 

 20世紀は「戦争と難民の世紀」であった。21世紀になってもそれは変わらない。というより,次々と新しい兵器が開発されて、21世紀は大量殺戮の時代になったといえよう。そうした中でいつも犠牲になるのは多くの子どもたちだ。現在,イスラエルの軍事行動によってガザの犠牲者は2万7千人を超えたという。そのうちの1万人超が子どもたちだ。イスラエル側は自衛権の行使やテロ組織の殲滅を軍事攻撃の大義や目的として掲げるが,そんな大人たちの利己主義で子どもたちの大量虐殺を正当化できるのか。

 

 国際司法裁判所(ICJ)はイスラエルに対してジェノサイド防止命令を出したが,その同じ日に,UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)職員がハマスによるイスラエルの攻撃に関与していたと大きく報道され,日本は直ちにUNRWAへの資金拠出を停止した。日本政府はイスラエルに同調して,パレスチナ和平,停戦とは逆行することをやっている。私たちはこういう愚かな政府を批判すると同時に,ICJの命令を武器に一層強く即時停戦を求めていこう。そして,

子どもを殺すな

と声を上げよう!難民キャンプの子どもたちのすばらしい心と姿を活写した写真を見たら,そう声を上げずにはいられない…