東京の下町、戦後間もない昭和30年に大田区のある地主の末っ子の家に長男で生まれた。

生まれた時には、2,800グラムでチョット小さく生まれたが、親戚中で、男の誕生は始めてだった

事もあって、それは大変可愛がってもらった。

毎日産湯を浸かりに行ったのは、父の実家だった本家でした。

母は、長野県の山奥からきた許嫁ではあったが、中々仲良く鵜やっていたようです。

祖父母は、毎日私を連れて近所の商店街へ行くのが楽しみだったそうです。

地主の威厳もあって、皆さんに私を見せて、可愛がってもらう事が何よりの楽しみだといっていたそうです。

時折、近所のおばさんが作ってきてくれた「おはぎ」を食べさせようとして、祖父母の夫婦喧嘩が耐えなかったそうです。

親戚一同ほぼ、教師をしていたのですが、私の父だけが、商売をしていて地域の学校関係の役割もしていたそうです。
今は不思議ですが、私が学校へ行っていない時でも、PTAの仕事もしていたような記憶があります。

生業は、自転車販売と文房具屋、それとYAMAHAのオルガンの代理店。

昔、YAMAHANのオルガンを出荷する時に、庭の倉庫からオルガンを積んで軽自動車が出るのを父が腕組みをして見送る姿が目に焼き付いています。

大田区中の小中学校のオルガンの購入代理店だったそうです。

その頃から、大田区への愛情が芽生えていたのではないでしょうか。

また、その頃から父の体調に変化が現れていたような気がします。

納品先は、大田区の学校だったのですが、軽自動車が出て行く時は、何時も夕方で、その時の夕日は赤く神々しく私は感じていました。
今迄、色々な事をブログで書いてきました(全然少ない・・・)が、今日から

ある1人の「おっさん」の想いを綴ってみようと思います。

人生を振り返って思う事と、色々な人達が色々な事を思って生きてきたと思いました。

文章だけでなく、その「おっさん」の目からの情報等を書いてみようと思います。

今、「Docomo」の宣伝に「3年で人生は変わる」とありますが???

しかし、「残り少ない人生」と意識した時に、焦ってやり残した事は無いか?

と考える人は、少なくないと思います。

日本国内が、高齢化してきている今。

高年齢層の各差社会になってっている今、「夢の実現」は必須だと感じました。

「おっさん」が「坊ちゃん」の時からの「夢」に共感されれば、その夢を一緒に追いかけてくれる

人もいるかな??

と期待しています。
友人が、この3月に公務員を辞め、クロスワードパズルのクリエーターでデビュー!!

クロスワードパズルは、今迄気にした事が無かったが、色々な見方から

楽しい事が解った。

頭の体操!ダケではなく。

コミュニケーション開発ツールとしても、大変な物だと感心した。

雑誌の最終ページのちょっとした

あたま休め?
時間つぶし?
嫌われ者!(ゴメン!)だと思ったが、結構使える。

コミュニケーションツールとしては、近頃問題になっている

若年層の、メール文章(コミュニケーション)単語の羅列で何言ってんのか>>??

又は、スタンプ送信で、画像(マンガ)の送信での会話等があるが、

もう少し、相手の気持ちを理解する事が必要だと感じる事が多い。

自分の子供からの返信メールも「オッケー」「マダ」『サンキュー」

「大丈夫!」繰り返し見ていると、履歴が履歴じゃなくなっている。

クロスワードの関連性から話が遠くなっていると思うかもしれないが、

クロスワードパズルを使ったコミニュケ-ション教育が出来るようだ!??

友人の再出発のツールでまだ秘密なようだが、発表されたら協力したい。

チョキ

その時は、私のぼけ防止!又は、アルツハイマーの防止で躍起になっているかもしれない。

今日はその発見報告であった。
今日、女房と昨日私がブログに書いた「教育」という主題の事で話をしました。

いつまで経っても、教育は受けなければならないと思いますし、
勉強はしなくてはいけないとおもいます。
しかし、情報過多のこの現代。沢山の情報から何を選択し、何を自分のものにして行くかは、自身の問題です。
実績のある方は、以外と新しいことには手を出しません。
間違いなく、今まで過ごしてきたこの道が正しくて、その道で飯が食えているのです。

その事は間違えありません。
素直に尊敬します。

しかし、その道を切り開いて成功した事には、タイミング等
、その時の色々な条件が、合致して今日に至ったことと思います。

しかし、現在では、環境、時代、タイミング、それと人が違うことで方法論は、違ってくるような気がします。
これを話をすると、屁理屈だと言われるかもしれませんが、私は逃げを作るために、この見解を記しているのではありません。

ですから、人はいろいろな経験と、環境、両親からの教えを受けてきていると思います。
今まで受けてきた数々の教育と、その人が感じてきた愛情を大切にし、その事を尊重する環境を他人が作れれば良い関係が生まれると確信しました。

教育とは、その人が受けて来た環境を探り、現実にある事実を照らし合わせて補って行くことが出来ればとても良い関係が生まれると思います。

似非教育者または、教育をしなくてはならないと勘違いをしている人達は、
今自分自身が置かれている立場で不足しているものを考え、
自分以外にその不足している物を補い、習得できるだろう人材に押し付けているだけに過ぎない。
特に、人員不足などの場合にはあり得ることだと思います。

その時の対象者との対話もなく、自分ができるであろう事なので、あいつも出来ないわけがない、と自分自身に納得させて。

その対象者は、殆ど自信のもてない人、若しくは何かを一度失敗した人で、現在人生を探している人が多い。
あながち、似非教育者はそのような人を引きつける力を持っているものである。

今回、私が愛する妻から引き上げてもらった事は、長い間できなかった事。
諦めて前へ進むという事でした。

これは、当たり前のことで皆さんは、お腹を抱えて笑ってしまうことですが、
当事者からすると、本当に大変なことです。

全てを捨てて、前え進む事は、勇気が必要であるということです。

※前回のブログで書いたように、もし貴方の近くに「見ててイライラする」「何やってんだろう」「はたらきずめ?」「何か変な感じ?」という人がいて、心配であるのであれば、勇気付けるのではなく、一緒に考えて悩んで見てください。決して答えを出さず。
頑張ろうとは言わず。
その人が一番大切にしたいことが、もしかして一番障害になっている事が殆どだからです。

結論は出ませんが、今日はそんなことを思って見ました。