北京オリンピックで沸く中国だが、多くのエコノミストはもう「アフター五輪」の中国を心配している。
経済成長はオリンピックを境に経験をした国が多いという。
そういえば古くは東京オリンピックを契機にした日本がそうであり、少し前のソウル五輪の韓国もそう。
しかし今回の中国にはそれとは違った見方をする方が多い。
もっとも、世界の資本主義経済の多くは”アメリカの消費に依存”していた部分も大きいので中国だけが問題だというわけでもないが、これまでの高揚感とバブルの大きさはハンパではなかった。
そんな中国だが、取り急ぎ心配されているのはインフレだろう。
私はエコノミストではないので観測や未来を語るほどに知識はないのだが、人民元相場の不安定材料は余りある。
ソニーの故盛田会長の
「円が高くなっても安定すれば手を打つ方法はある。しかし不安定なのが一番やっかいだ」というコメントを見たことがあるが、そのような事態になりつつあるという観測も多い。
人は何かしらの目標を作った時、またその目標が社会的、また経済的にリターンがあることに対して、高揚感を感じる。
企業でいえばIPOもそうだろうし、規模拡大を伺う企業も「成長している」という高揚感に駆られる。
英会話で躍進したNOVAしかり、ライブドアも高揚感の渦の中だったに違いない。
個人でも
「週末にドライブに行く」
「このプロジェクトが終われば、海外へバカンスに行く」
などの、目標は気持ちの高揚感を生み、モチベーションを高くし成果に繋げることもできる。
「何かないと、モチベーションが上がらないのか?」という方もお見えだが、会社の全てを背負う経営者ではなく、企業の社員は思った以上に仕事だけでは生きていけないものだ。
話を戻す。
地域経済でいえば、少し前の名古屋の経済界は高揚感で一杯であった。
高揚感の行き先はあの万博であった。
名古屋の世界化に向けてセントレアが竣工し、トヨタの成長シンボルであるミッドナイドタワーが完成した。
名古屋の街を包む高揚感はこれまで感じたことがなかったものであった。
またある意味、成長をしようと思えばこれらの高揚感がないと無理なのかもしれない。
自分の持っているポテンシャル以上をこなさないといけないし、何しろ
「イケイケ」の環境である。この時にやらずして、いつやるのか!!という空気には勝てはしない。
しかしその高揚感が大きければ大きいほどそれが終焉を迎えた時の問題は複雑化する。
高揚感の功罪。
高揚感は”細かいこと”を気にしない、または気にできない環境を生む。
問題があっても「そんなこと後回し、もっとやらなくてはいけないことがあるだろう」とされるだろう。
中国でも大きな問題もあったが、小さな問題はもっとあっただろう。
私見であるが、中国はネット社会で自由議論を知ってしまった国民を抑えることができないと思う。
企業でも同じである。成長すればするほど、内部の問題が出てくるケースがあるという。
「今はそんなことをしているより、成長第一。その問題は後回し」
と最初は細かいことだとしても、後に企業の根幹を揺るがすことに至るものも出てくるだろう。
中国の高揚感を見ていると、規模拡大を第一優先している企業に似ている。
高揚感は成長を生む。
この高揚感の罪を語る人も多いが、私はそれでも功があるのだからチャンスなのだと思う。
船を漕ぎ出す、高揚感の中という自覚を持てば手も打てる。
バブルであって、特需であっても、それを産み出している高揚感であっても、自覚があればどのようにも対処できる。
自覚がないのがやはり罪と化するのだと思う。
高揚感を利用するか、利用されるか。
大きなチャンスを得た中国は真の大国になりうるかどうか。