イチロー「1-4000、ひたむきな旅路の果てに」 …Numberより | 現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。

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「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-イチロー 1

Numberより http://number.bunshun.jp/articles/-/679431

イチロー
「1-4000、ひたむきな旅路の果てに」


プロ生活22年目、39歳にして遂に到達した4000の高み… 「積み重ねの結果」といつものように言葉はクールでも、 今回ばかりは喜びの気持ちを隠さなかった。初安打から4000本までを追いかけてきた記者が紡ぐ、戦いの歴史。

乾いた音とともに鋭い当たりが飛んだ。2013年8月21日、ブルージェイズ戦1回1死。カウント1-1から、R・A・ディッキーが投じた外寄りナックルボールを漆黒のアオダモバットが捉える。三塁ブレット・ロウリーが横っ跳びしたが間に合わない。4000本目は球足の速いゴロでのレフト前ヒットだった。

それまで3999本。さまざまな球種を、多彩なスイングで全方向へ打ち分けてきたイチローは言った。

「レフトスタンドへのホームラン以外はどんなヒットも僕らしくなると思っていた」

打席前から立ったままだった観客のボルテージは一気に上昇する。突然重厚なBGMが流れ、中堅後方の大型スクリーンには「4000」の大文字が浮かぶ。一塁ベンチからチームメートが祝福に駆けつけ、試合はプレーボール早々から5分近くも中断した。


「僕のために時間をつくってくれる行為」
に心が揺さぶられた

予想外の出来事にイチローの感情が揺さぶられた。

「ちょっとやめてほしいと思った。僕のためにゲームを止めて、僕だけのために時間をつくってくれるという行為なんかとても想像できるわけない。それもヤンキースタジアムで……。ただただ感動しました」


「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-イチロー Number
(…Ichiro  1973年10月22日、愛知県生まれ。'92年愛工大名電高からドラフト4位でオリックス入団。'94年から7年連続首位打者。'01年マリナーズに移籍し10年連続200安打を達成。 '04年にはMLBシーズン最多となる262安打を記録。WBCでは'06、'09年大会に出場して連覇に貢献。昨年7月にヤンキースに移籍。今季は125試合に出場、打率.271(8月30日現在)。180cm、77kg…)


この日、ESPN、MLB・TVなど専門局が達成のテロップを流し、翌日のニューヨーク地元メディアは大きく紙面を割いてプロ4000本を称えた。日米通算の参考記録に異例の反応があったのは、その主役がイチローだったからに他ならない。

日本人初の野手としてメジャー入りしたのは12年前。以降、日本で放った1278本の倍以上をアメリカで記録した。その圧倒的なヒット量産ペースが広く野球の本場で認知され、本人も驚く祝福シーンにつながったのだ。イチローは「結局、4000という記録が特別なものをつくるのではなく、自分以外の人たちが特別な瞬間をつくってくれるのだと思った」と語ったが、数え切れない自分以外の人たちをつなぎ合わせたのは彼自身だった。

ヤンキースタジアムのざわめきがやっと静まりかけたとき、イチローはヘルメットをとり、四方の観客席に向かってゆっくり大きく頭を下げた。2回の守備に就く前には外野スタンドの熱心なファンが再び労いの拍手を贈る。大型スクリーンでは早くも「イチロー4000安打」記念Tシャツ販売のPRビデオが放映されていた。


4000本を前にした心境は
「それなり、かなあ」

大台までのヒット数が10を切ったあたりから目立って日本からの報道陣が増えた。かつて何度となく記録に挑んできた彼には見慣れた光景だったが、数字の区切りにだけスポットが当てられるムードにはやはり抵抗があったようだ。本拠地での達成から少し前、ロス、サンディエゴ、シカゴと続いた長期遠征中から「いろんなことがあったからそれがある。節目のヒットもそれ以外のヒットも僕にとっては同じ」と話していた。積み重ねへの強い自負が込められていた。

同時期、4000を超える直前の心境を「それなり、かなあ」とも短く表現していた。日米通算とはいえこの希な数字を39歳で迎えた者は過去にいなかった。同世代のトップスター、たとえば現役最多安打('13年8月30日現在で3311本)を誇るジーターは、故障続きで今季この時点でたった7試合しか出場できていない。打撃だけならともかく、守備、走塁を含めた総合力で「それなり、かなあ」な39歳は、現在のメジャーリーグでただひとりといっていい。

イチローは4000安打達成前日、ダブルヘッダー2試合目の9回に代走で起用され、サヨナラ勝ちにつながる三盗を決めている。4000本達成当日は、3回の右翼守備で一塁後方フェンス際のファウルを滑り込みながら好捕した。

「学生時代、打つこと、守ること、走ることと考えること。その全部ができる人がプロ野球選手になると思っていた。今もそう思っているが(日米での)現実はそうでなかった。それ(今も変わらぬ自分のプレースタイル)が際だって見えることがちょっとおかしいな、と思いますね。だってそれは僕にとっては普通のことだから」
 ほぼ自在に体を使い、慢性的な痛みや疲れとは無縁だった。走攻守に高レベルを維持して4000を通り過ぎることに充実感をおぼえていたのだろう。


「嫌々打った」
プロ1本目から21年、変化した立場と姿勢

イチローは4000本目会見で、プロ1本目当時と現在の違いを口にした。

「嫌々打った1本目。4000本目は、試合に出たくて出たくてしょうがない中で打ったヒット」

プロ最初の3年間はじっくり実力を蓄えたい。だから一軍には行きたくない。プロ1年目の鈴木一朗はそう考えていたが、当時のオリックス一軍首脳陣にそんな希望が受け入れられるわけはなかった。

それが今は40歳目前で相対的なハイレベルを維持しつつ、ヤンキース特有のチーム事情などから定期的な休みが与えられる。どちらも思うに任せない状況には変わりないが、イチロー自身の立場や姿勢は21年前とはまるで違っていた。



「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-イチロー オリックス1

「1週間で二軍に戻してくれたら最高なんだけどな」
'92年7月12日の平和台球場、ダイエー対オリックス戦。日米を股にかけたヒットパレードは、ここでスタートした。

「ベンチに戻ってきて『あいつ高校出たばっかりやで』と聞かされて。ああ、すごいなあと普通に思いましたよ」

鈴木一朗にライト前ヒットを打たれた木村恵二(元ダイエー、西武投手)が懐かしそうに記憶をたどる。こりゃただ者ではないな。プロ1本目を打たれたピッチャーの直感がすべての始まりだった。

「普通、高校出たばかりのバッターに真っ直ぐを投げたらボールに負けるんです。変化球にもついてこれない。それが彼の場合はバットコントロール、スイング(の切れ)と、いろんなものがもうプロのレベルにあった。打たれても違和感はなかったですね」

その夜、鈴木一朗は屋台で1杯300円の豚骨ラーメンを食べ、「1週間で二軍に戻してくれたら最高なんだけどな」と、予定通りにいかない野球人生を憂えた。


「自分のかたち」
をつくるために描き、実践した長期戦略

高卒外野手がプロ1年目オールスター前の一軍初昇格で初ヒットを記録するのはそうあることではない。さらに本人の耳には入っていないにしても、相手投手が驚くような技術段階にあった。だがそこで当初の“計画”を貫こうとした。

「もうちょっと時間をかけて自分のかたちをつくりたい。3年目まではそういうつもりだったんです。4年後に同い年の大卒が入ってくる。そいつらの一番よりも僕は絶対上手くなきゃいけないし、給料も絶対高くなきゃいけないって思っていた。だから1年目(の一軍昇格)では早過ぎるんですよ」

自ら「ガキんちょ」と称した18歳は、親族、友人らに祝杯を挙げてもらって不思議ではない状況でひとり長期戦略を練り直していた。1本目を喫したピッチャーの「ただ者ではない」との直感は的中した。大きなスケールで将来を描き、それをいかに実践するか。プロ1本目前からこだわっていた「太く、長い現役生活」が始まった。

イチローと安打数の濃厚な関係が本格的に始まったのはプロ3年目、20歳で迎えた'94年シーズンだった。4月末からリードオフマンに定着し、猛烈な勢いでヒットを量産した。


「打てば打つほど、バッティングは難しくなる」
5月から8月にかけてプロ野球新記録となる69試合連続出塁。9月11日の近鉄戦ではプロ野球タイとなる1試合4二塁打でそれまでのシーズン最多安打記録だった191本(阪神・藤村富美男)に並ぶ。そして9月20日の神戸のロッテ戦で、130試合制では唯一のシーズン200本目をマークした。

同年は最終的に210安打。打者としては史上最年少のリーグMVP。首位打者、ゴールデングラブにベストナイン、正力松太郎賞と主だったタイトルを総なめにした。

イチローは自身初めてとなる200本目を放った当時、新たな目標を問われて「次の1本を打つこと」と答えている。ただ当時はまだ自分の技術に半信半疑だった。いま思えばこの時点での「次の1本」はその後長く続く苦闘を示唆していた。彼に課されたハードルは次の1本を重ねるたびに高くなっていった。

「打てば打つほど、分かってくれば分かってくるほどバッティングは難しくなる」


「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。-イチロー オリックス2

前人未踏の境地に達しつつあったオリックス時代につぶやいた苦悩…それは“結果オーライ”のバッティングを良しとしない信念の表れだった。

メジャーでもシーズン最多安打記録、10年連続200安打と金字塔を打ち立てて伝説になったイチローはヤンキースでも「次の1本」を求めている――。



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