数日更新していませんでした。お久しぶり?です。書くことがないのは良いことなのか、悪いことなのか、わからないけどふと思った時に文章にしてみます。

 

 先日も書いた通り、病院でパニック障害と人より色んな感覚が過敏だということをいわれた私ですが。「やはりそうだったか」と、ただただ納得で、思い返せば今まで生きてきてしんどいと思った出来事や嫌なことは、必ずと言っていいほど気にしいな性格や感覚過敏なことが原因だったと思います。

 例えば、静かな空間や、バスや電車の中で、周りの咳・くしゃみ・鼻をすする音・貧乏ゆすりなどが一度気になると、それらすべての音が一斉に襲ってくるような感じで居ても立っても居られなくなるのです。ひどいときには、それがたとえ親しい人でもストレスに感じてしまい、家族と食事をするときも話し声や咀嚼音が気になって早く食事を終わらせて部屋で一人になりたいと感じてしまうこともあります。他には、私は極端に「吐く」という行為が恐怖でそれによって「吐いてしまったらどうしよう。嫌だ。」とパニックになることがよくあるのですが、食べ物や飲み物がのどを通っていく感覚やお腹がぎゅるぎゅるなっている感じなど、一度気になると、なんともないと分かっていても、「吐くこと」につなげてしまって、余計にご飯がのどを通らなくなります。

 

 他にも、人間関係のことや将来のことなどまだ起こってもいないことを気にしてしまい、「気にしすぎだ」とよく言われます。最近はこの言葉を素直に聞き入れ、「そうだよね。気にしすぎだよね。」と言い聞かせ、自分を落ち着かせるひとつの方法として利用することもありますが、本当に切羽詰まった(自分では切羽詰まっていると感じている)時には、「気にしないなんて無理だよ!」と正直思ってしまいます。

 

 ですが、大抵私が気にして勝手に疲れていることは、体のことに関してはごくごく当たり前な体の働きで生きていくためには必要な、抗えないものなのです。将来のことや周りのことも、自分が今なにを考えたってどうしようもないし、どうなるかなんてその時になってみないとわからないのです。

 まあ、こうやって偉そうに文章にしてますが、「今できることをやらなかったせいで、そのときに困るのが嫌なんだ。だから、今できる最低限のことはすべきでしょ!」とずーっと思ってきました。でも、こんな風に自分とちゃんと向き合おうとし始めてから、先のことのせいで、「今」が辛くなってしまっていたら、何の意味もないじゃないか。「今」を見て、楽しむことが、本当の意味で将来の自分に繋がるんじゃないか。ようやく、そう思えるようになってきました。

 

 気にしないって実は一番難しくて、けど一番大事なんじゃないかと思います。

 

 私みたいな人、きっと少なくないでしょう。うまく付き合っていくには、まだまだ時間はかかるし、どうしようもないことも絶対あるけど、私を含めて同じように感じている人が少しでも生きやすいと思えるようになればいいなあと願って。

 

 長くなったので、今日はこのへんにしときます。