津田大介は県検証委員会の見解にたいし、「ガバナンスの問題があったことは重く受け止めるが、キュレーションの問題を過度にクローズアップするのは、騒動の背後にある本質的な問題を覆い隠してしまう」とコメントした(朝日)。

 

 キュレーションの問題とはつまり、県知事をトップとする実行委員会とのあいだに専門的なキュレーターを介在させなかったことである。

 

 それによって、政治家が中止を判断するという結果になった。これを検閲と受け取られても仕方がない。

 

 浅田彰は毎日新聞誌上で、公的な美術館に展示を持ち込んだことに価値があると述べているが、論点がずれている。

 

 海外の芸術祭は、常設の財団や企業が運営するのがふつうなのにたいし、日本ではたいてい自治体が運営主体となる。問題はこの構造だ。

 

 補助金のストップについては、過去に船橋市の公立図書館が「つくる会」関連の図書を処分した際、「閲覧できるようにした以上、勝手な処分は認められない」との理由で著作者の表現の自由を侵害しているとの判決が出たことがあり、今回、実行委員会側もこの判例を援用して法廷闘争にもちこむ構えという。

 

 津田の甘さは、国がテロリストの肩をもつという、これもとうぜん予期すべきであった事態を読めなかったことだろう。

 

 ソフトテロの被害者にたいして対応のまずさを責めるというのは、自民党が民主党政権による大震災への対処のまずさを人ごとのように攻撃するのとまったく同じ論法である。