Karate
Super Channel
vol.10
正道会館の展望
中本直樹館長代行に訊く!
第21回正道会館全日本大会を成功裏に終えた中本直樹館長代行にお話しをお伺いした。
正道空手の命は基本にあり
「大同団結の意味」
今年は極真会館とのスペシャルマッチを入れましたので、これまでの大会にはなかった形となりました。
特別試合とは言え、松井章圭館長が懐深い配慮のもとに極真の選手を正道の大会に出して下さったことは大変画期的なことであると思います。
また、そういうところから始まって、空手界の大同団結の方向に向かう道になるのではないかと思います。
大局的に、空手に関して、真摯な考えで志を同じくし、同じ方向を向いているのであれば、それが空手界として一つにまとまっていくというのが良いのではないかと思います。その中で正道会館も何らかの役割を果たせるのであればと思います。
色々な方が大同団結と言われますが、方法論の問題があると思います。
当然ながら、道場や流派によって、主義主張の違うところや、組織の成り立ちも違うでしょう。違う考えでも、それを無視してでも一緒にやるというのであれば、かえって混乱することになります。
これは組織の運営や行事についても同じであり、それぞれの組織には組織の思想や基盤があって運営している上で行っていることであり、例えば、正道会館が、他の団体のイベントの表側だけを見て「うちもあんなことをやりたい」と言っても、簡単にできる訳ではないとも言えるでしょう。
逆も同じです。正道会館が今、行っている行事は、正道会館の全体の中に歴史と基盤があるからこそ出来ることであり、正道会館の組織の基盤を抜きにして正道会館の一部の支部だけで、同じことが出来るかと言えば、出来ないと言えるでしょう。
正道会館としても、自分達の考えを大事にしたいし、違う考えに迎合することは無理があるし、ただ団結すれば大きくなるという考えで一緒になるのは相手の団体に対しても失礼なことであると思います。 また、それを「団結」と言えるのかという疑問もあります。
まずは同じ考えを持っている団体同士が一緒にやっていくことが大事だと思います。まずはそこからではないでしょうか。
社会性のある、明るい雰囲気の正道会館
「他流試合」今回の極真会館と正道会館のワンマッチ二試合、殺伐とした雰囲気でなく、大変良い雰囲気の中での試合を行えたと思っています。
試合に来て頂いた門井選手、ルネフ選手、極真会館の関係者の方々も武道家らしい態度で臨んで頂いたし、我々もそれに対して礼をもってお迎えさせて頂きました。
他流派との対戦となると、殺伐とした雰囲気になるのもやむをえない部分もありますが、正道会館も極真会館もスタイルの違いはあれど、武道を愛する団体同士の試合なわけです。
オープントーナメントであると言って、流派の対決、エキサイティングでスリリングな対決といったものを売り物にしたいとは思っていません。
そればかりをアピールし始めたら、そこに「何の武道の意味がある」ということになります。観る側、応援する側の武道教育の模範ともならない。
確かに、試合自体は白熱したものとなる方が良いでしょうが、それは選手同士の試合の中で生まれるものであって、大会の主催者が無理に煽るものでも、飾るものでもありません。
やはり、武道は礼に始まり、礼に終わらなければなりません。
勝者というのは対戦相手、敗者がいて、勝者になれる訳で、また互いに学ぶものがある。
そこに敗者に対する感謝もなければならない訳です。
今回のワンマッチもショーではなく、極真会館ルールで戦う正道会館と極真会館、正道会館ルールで戦う極真会館と正道会館、正道会館の技を出来る限り自由に使える正道会館特別ルールで戦うようにした正道会館と正道会館、あくまで武道の追求の意味合いをもって選手同士も切磋琢磨し、観戦者も学ぶことができる空手の課題をもっておこなった訳です。
「判定に関する審議」
試合の判定に関して、私がよく申し上げることですが、主審と副審、我々役員席の役員や監査が見える範囲は違う訳です。三通りの範囲がある。
判定になって、色々なクレームのアピールがありますが、往々にして、応援する側が観る、応援している選手の良い所だけ見ているパターンが普通です。
「相手側の選手が与えたダメージは観ましたか?」
と言えば観ていない。
極論すれば、ダメージを貰っても、審判にそう見えないように誤魔化してしまえば、それもテクニックです。でも見破られればテクニックではない訳です。
ズルをするというのではなく、例えば、実戦であっても、相手の攻撃が効いたのを「効いてない」と誤魔化すのは重要な技と言えるかも知れません。しかし、ばれてしまったら無意味。
私や監査が審判を招集して、判定などについて審議するのは、「判定を覆してくれ」と言っている訳ではありません。主審、審判の判断に対して、
「監査の席からは見えていたことがらについて、主審や副審はどう判断していますか?」
ということです。
それが分かっていた上での審判であれば、それを尊重しますし、見切れていなければ、その部分は考えなくてはいけないということです。それをいい加減にすれば不公平になる。
私も監査も、その審判の確認を行っているだけです。

大和新庄の武河支部長が総本部の指導を学びに
「武道教育のありかた」
今、正道会館は、幼年、少年から入門して、大会を通じて成長していくというひとつの武道教育、成長の道筋、モデルが出来ているのも事実で、その中から優れた選手も出てきていますが、勘違いされても困るのは、「大会が中心ではない」ということです。
大会もひとつの成長の方法であるし、また、大会が不得意な道場生が成長できないかというとそういうことではない。
試合で正しく試し合うことによって成長する道もあり、日々の鍛錬の中で成長する道もあります。
正道空手をやって、その中で学ぶことが、生活、仕事、学業をやる上での基盤になれば良いと思っています。
ただ単に、突きや蹴り、相手を倒すということだけが、空手の形ではないわけです。日常生活ではそんなことはむしろできない。人間性を高めなければ、空手は日常生活の役には立ちにくい。
試合をする選手が、一般の道場生よりもエライとか特別ということはない。
多くの人々が成長できる武道教育団体でありたいと願っています。
楽しく、正しく、たくましく
誰もが、無理なく、楽しく、
正道空手を基本から学べる正道会館初級コース。
正道会館総本部
JR天満駅下車すぐ。
06(6357)1654
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文 写真 不動武
2015 Sep 16th up