こんばんわDaigoです
母の事なので
少し重苦しい話になります
苦手な方はスルーしてほしいです
母は2023年からパーキンソン病に患ってしまい
薬を飲む生活を始めていました
症状としては
首が曲がって上を向けなくなる
よだれ
手の震え
便秘
歩いたらコケてしまう
そんな状況になってしまい
軽くうつ病にもなっていたんじゃないかと思います
症状が現れ始めてのは2021年ぐらいからでしょうか
さんざんパーキンソン病を疑って
かかりつけの内科の先生に付き添ってパーキンソン病じゃないのかと聞いても
ただの老いなんじゃみたいに言われ、普通の検査しても特に異常がないので
大きな病院で調べるという気持ちに本人がなってくれず、
そんな時間が長かったのもあります
でももうこのままじゃ無理だろという状況までなってしまったので
ようやく本人も病院で調べてもらう気持ちになり
2023年11月に大きな病院で検査の結果
パーキンソン病と確定しました
ちょうどその月の11月
今後旅行に行ったりできるのだろうかという思いもあったので
箱根旅行の計画もあったので実際に行きました
母はまともに歩けないし
出かけたいという意欲もほぼなかったです
顎がもう上がらなくなってしまい
体の不自由なのが本当辛そうでした
でも思い出を残すというのは本当大事だなって
今では思ってます
病気が確定してからは
指定難病であることから
難病受給者証をもらうための申請だったり
介護認定を受けたりして
薬を飲みながら
リハビリなどを受けてました
薬を飲み始めてからは少し改善もされたりして
希望もあったんですね
ようやく母ちゃん自身もリハビリをしてくれてる方のバンドを見に行きたいだとか
買い物に行きたいとか
外に出かけたいという気持ちがまた芽生えてくれて
自分も嬉しくなっていました
2025年11月
ある日母が起きたら息が苦しいといい
救急車を呼びました
病状は心不全のステージⅣで緊急入院
検査の結果、甲状腺ホルモンの数値もおかしいという事で
バセドウ病という診断もされました
しかし意識はしっかりとしていて話す事も問題ない感じでした
母は良性の子宮筋腫などで入院はした事がありましたが
長期入院というのはかなり久しぶりになりました
本人はすぐに帰れると思っていたんです
でも実際はすぐに帰れるわけもなく
緊急入院した病院で2週間ほど入院していました
せん妄という症状も現れ、勝手に家に帰ろうとしたり暴れたり・・
そういう事もあったけど
心不全の症状はだいぶ良くなり
転院という事になりました
リハビリテーション病院という病院でリハビリしながら治療をしてくれる所です
今回のきっかけとなった心不全になったのは
バセドウ病が原因だったんじゃないかと思われます
バセドウ病
① 代謝が上がりすぎる症状
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動悸(ドキドキする)
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手のふるえ
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汗が多い・暑がり
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食欲があるのに体重が減る
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疲れやすい
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微熱が続く
② 見た目の変化
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首の腫れ(甲状腺腫)
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目が出てくる(眼球突出)
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まぶたが腫れる
※目の症状は「バセドウ眼症」と呼ばれます。
③ 精神・神経症状
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イライラ
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不安感
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不眠
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集中力低下
④ 女性にみられること
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月経不順
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不妊
🚨 重症化すると
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強い動悸
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不整脈(心房細動)
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甲状腺クリーゼ(高熱・意識障害など)※緊急
バセドウ病の薬を投与されてわかったことは
手の震えはバセドウ病の薬を飲んでからはほぼなくなった
皮膚がかゆくなって蕁麻疹がよく発生していたが
バセドウ病薬を飲んだらでなくなった
心不全もステージⅣという段階までいったのに
それはだいぶ安定してくれたんです
なので体さえ動けるようになれば家での生活もまた出来るんだと家族で思っていました
誤嚥性肺炎の恐れがあるとのことで
流動食がメインであったのですが
美味しくないという本人の気持ちが勝ってしまい
どんどん食欲がなくなってしまって
ご飯が食べれなくなってしまい
栄養が足りなくなってしまいました
禁食で点滴のみになり、どんどん痩せてしまって
今では太ももなんかは腕の細さぐらいまで細くなってしまっています
左手と右足だけはなぜかむくんでしまっていて・・
もう指も動かせない
首も動かせない
自宅療養も出来るのか聞いてみたけど
とてもじゃないけどそんな体力はないと言われてしまいました
パーキンソン病が体を蝕んでいくスピードが異常に速いんです
人ってこんなにも速く弱っていくんだなって思って愕然としています
パーキンソン病は
認知症も進んでしまうらしいので怖いです
母はまだ73歳です
死ぬには早すぎるし、今まで僕を支えてくれた時間の恩返しは全然できていない
でもこんな状況では
長生きしてほしいなんてとてもじゃないけど言えないです
最初は家に帰ってこれない現状に苦しくて夜もまともに眠れなかった
でも辛そうにしてるのをずっと見てるのも本当辛いんだなって・・
母は
今はテレビもスマホも見れないから
ひたすら夢の中で生きている感じで
お見舞いに行くと
「夕飯大丈夫?台所にあるパン持って行っていいよ」
って自分がお腹空いてるはずなのに
それでも人に気を使って優しさをくれます
もちろん病室なので台所もパンもあるはずないんですけどね
言葉はなんとか聞き取れるか聞き取れないかぐらいなので
ハッキリと会話が出来てるわけではないですが
どんな状況であれ
人に気を使える母はやはり優しい人なんだなぁって深く実感しました
どんな人にも平等な事って何か
それは誰にでも
「死はやって来る」
という事
遅かれ早かれ
最後は少しでも苦しまずにいてもらいたい
そんな風に思っています
今の母にしてあげられる事は少ないかもしれないけど
家族が落ちてしまっていてもしょうがないから
元気に働いて支えてあげたい
愛を伝えたい
今の願いはダイゴの事を死ぬまで忘れないでいて欲しい
それだけが願いです





