こんばんは!写真撮ってますだいなごんです。
今日は最近人様のブログのプロフィール写真を見ていて謎に思っていることを。
オメー何様だ?っていう超お節介記事なので、ご注意くださいませー!
人のプロフィール写真なのでどんなのでもいいのはいいんですが、白ホリ(白い無地の背景のスタジオ)でストロボバーン!て焚いてまでして写真を撮って、なぜカメラ目線でない写真を採用するのか!?
いつ見たものかも忘れてしまったのですが、けっこう多く見かけるので、だんだん気になってきました・・・
絶対にカメラ目線でなくてはいけないわけではないんですが、スタジオって後ろはまっさらな壁、真正面には大きなカメラで逃げ場がないじゃないですか。きわめて即物的というか、嘘がつけないというか、ルックス上の、精神上の、自分の粗という粗を何もかも写し取られてしまうかのような気持ちになりませんか?
写真オタクの私個人の解釈ですが、スタジオ写真って、そういうタイマンを張る場所です。
どんな風に写ってもそれがカメラマンから見た自分自身と受け止める度量が求められるなんて言ったら本当は写真を撮る人間として失格なのかもしれませんが、でも、あえての目線外しで柔らかい雰囲気を演出したいのであれば、原則的に白ホリのスタジオはミスチョイスです。
カメラマンの得手不得手はあるにしろ、人柄の雰囲気に関してはロケやセットのあるスタジオの方が写真マジックがかかりやすいと思います。自分の外見に対して抱いている幻想を暴かれるのが嫌だという人がいきなりスタジオで写真を撮るのは、はっきり言ってハードルが高いということです。
なぜこんなことをいきなり言い出すのかというと、スタジオ写真で撮られた視線をそらした写真を見るたびに、「この方、怖かったんだろうなあ」と思うからです。私は写真の出来はすべて写真家の責任に帰属すると思っているので、正確にはカメラマンがモデルの心を開けなかったまでなのですが・・・。
相性とか、モデルさんが自身の奥に眠る撮られることへの恐怖を自覚できていなかったとか、事情は色々ですけどね。
無償の撮影ならまだしも、有償の撮影となると(モデルがカメラマンに金銭を支払う場合)モデルさんを気持ちよくさせるのはある意味で必須の条件だし、きっとモデルさんも「まだ見ぬ自分」に期待してカメラマンにお金を払うのだと思います。「まだ見ぬ自分=鏡で見るより美しい自分」と暗に限定されている場合も多くあるでしょう。
なので、別にご本人がそれでいいのであれば何も言うことは本当はないんですが、バリバリキレキレ!みたいなイメージで売りたい人が、スタジオというタイマンの場でおそらく幾枚と撮った写真の中から、視線をこちらに寄越していない写真を採用しちゃうのは、現実を直視することのできない脆さをアピールすることになってしまうと思うのです。そうでない作例ももちろんあると思いますが、私が今まで見てきた写真からは、そういった印象を受けることが多かったです。
私にとって写真は手段というより目的なのでどんな印象を受けようともかまわないのですが、プロフィール写真を依頼される方からすれば写真はイメージ手段のはずなので、それでは非常にもったいないなあと。
人には誰しもコンプレックスという傷があります。
大抵の人は写真に写るとき、その傷を隠そうとしてメイクやファッション、立ち居振る舞いで取り繕って装甲します。ある意味それが自然なことではあるのですが、私がポートレート写真を見て胸を打たれるときというのは、弱々しくて刺激されたくない傷を隠そうともせず、怖くとも、傷もろとも丸裸の自分自身を写真家に明け渡している勇敢な姿を見たときです。
そういう写真が、もっと世の中に増えればいいな~、と思う私なのでした。
というか、私も増やさねば!笑
長々と書いてしまったー!
読んでくださった方、ありがとうございました!カメラマンやシチュエーション選びの参考になれば幸いです。
手間味噌ですが、この記事に自分の写真を載せないのはナシだろうということで。
こっちだった!(白々しい)
前の記事とカブっとるやないか!というツッコミは甘んじて受け入れます!
ではー!
