俺らはみんな、
明日を生きるために今日を生きてるのであって、
明日の無い今日は無いし、
今日の無い明日も無いわけなので。


そしてそれは累ねられていって、
そんで振り返れば、
そこには塔のように積み重なった道筋。


今日は一段。
明日は次の一段。
土台を広げてないと、すぐに先細りして、

そんで、
そこまで。



いつか、
どこまでも、
積み累なっていく?

それとも、
バベライズ。




自分の中の融着が剥がれて、
バラバラになってしまう前に。
なんだかみんな難しい顔しちゃってさ。

仕事のウンタラクンタラだの、
男女のナンタラカンタラだの、
家族のナンヤラヘンヤラだの、

守らなきゃいけない規制線とか何だとか、
そんなん考えてどーなるっての。

世間一般の
「かくあるべし」
なんつー常識の枠ってのは、
要は為政者の都合のいい情報操作であって。

そんなもんに縛られて、
せっかくの自分の一日一日ってもん、
真っ直ぐ見えてないんじゃないの?


なんだか面倒臭い瑣末なことにかかずらわってさ、
そんであとたかが40年やそこらの人生、
浪費してんのってもったいなくない?

なんか20年やら30やら経っていろいろ世間一般の安定を得て、
そんでそれから~、
なんて思ってみても、
そんなん、
老いてスペックの落ちた躰で、
そっからスタートなんて、何ができるっつーの。


せっかくの日々、
自分の本当に求めて、
本当に満足することやってかないと、
全然意味ねーじゃん。

もぅ強欲なくらいさ、
そん時やりたいことやってかねーと。

刹那主義だけじゃぁ、
先細りしてって、死ぬ時後悔すっから、
長いスパンで自分の目標に向かって行く楽しみと、
刹那刹那を全力で楽しんでく楽しみと。
両方持ってないと。

やりたいことをやって、
言いたいことを言って、
それ以上もそれ以下も無い。


そうであろうとなかろうと、
結局はケツ拭くのは自分。
世間様に恥じないように生きて自分の可能性殺しても、
肝心の世間様は責任なんて取ってもくれないんで。


生きるってのは。
活きることなわけで。

活きてるか?
死んでんじゃないの?
誰ぞが言ってた。
「自由」と「孤独」は同じ。
って。


きっと、
自由を求めることは、孤独を抱え込むことに他ならないし、
孤独を逃れようとすることは、自由を放棄することに他ならないわけで。

一方で、
孤独では無い。という孤独もまた存するわけで、
人間はどこまで行っても結局は独り。

ならば、
孤独を紛らすための誰かの存在というものは、
それは、きっと、虚無。

大事なものは、
もっと別のベクトル上にある。