2月28日から始まった中東での激震。
ここ数年は半年にいっぺんの割合でイランとイスラエルが戦いを交わし、エルサレムにもイランからのミサイルが飛んでくる、そんな状況でした。
ですが今回は違います。
もうこれまでの比ではありません。
今回はこれでほぼ間違いなく、
「世界の大転換」がなされるでしょう。
そんな中、3月3日と4日は、
ユダヤ教の「プリム」の祝日でした。
絶対絶命に追い込まれたユダヤ人が エステル女王と叔父のモルデハイの 知恵と勇気によって 絶望の闇
ら命の光へと 事態がひっくり返る物語。
舞台はペルシアのスーサ、 まさに今のイランです。
闇と絶望の連鎖で渦巻いていたこれまでの鎖が今、
断ち切られようとしています。
今のこの状況は必ず光に転じる、 しかしそのために通らなければいけない暗闇があります。
それがまさに今です。
これから世界のフェーズは大きく変わります。
これまでの「常識」が覆ります。
大転換の今、闇に留まるのか、光を見る知恵と勇気を持つかどうかは私たち自身にかかっています。
そしてプリムの後の3月6日は、
私の誕生日でした。
これまで音楽を通して私の目の前に現れてきた
様々な道筋や光景は
私の想像をはるかに凌駕するものばかりでした。
その中で私は、音楽に携わる者として、
いったい私は何を見い出し、
伝えることができるのか、
常にその命題を突きつけられるかのようにして
過ごしてきました。
エルサレムという土地柄もあり、
日々中東情勢、世界情勢をチェックするのが
長年の間で習慣化し、
その中で浮かびあがってきたことがあります。
それは「音楽と食には、境界を作れない」
ということです。
国境という現実は明確に存在します
これは世界秩序のために、
どうしても必要なのです。
ですが、
音楽と食べ物だけは
何をどうがんばっても分断なんてできなくて、
するするとその地下水脈を伝って
いとも簡単に人の「心」に入り込んでしまう。
ある旋律や音階、そして料理は、
国や民族、宗教などの境目を、
まるでそんなものなどないかの如く、
どんどん越えて、拡がって、人々に愛される。
これが、私が心身を通して掴んだrealityです。
宗教と宗教の間に
クッションのように存在する音楽、
文化との間、地政学の中にすらも
音楽を通して
初めて浮かびあがってくるものがある、
平安の時も、
今のような争いや戦いの時も、
神と対峙する時も
そこには必ず音が、そして音楽があります。
その時の空気感や匂いとともに私の胸に刻まれ、
こだまする音、音楽。
だからこそ、
私が語ることのできる視点、というものが
ひょっとしたらあるのかもしれない、
と思いました。
混乱を極めた中での
2026年の3月6日は
私の音楽家としての使命を
改めて感じる一日となりました。
そして私の目の前で繰り広げられる
「大転換」のこの時を
私の心と身体に深く刻み込み、
音楽が持てる
柔らかくしなやかで、
そして何よりも強く、
あらゆるものを包み込んでいく力を
これからの新しい世界に
解き放っていきたいと思います。





