ちょっとショックなことがあって、あの人にとって自分の必要性ってないんだろうな。
ただ機嫌良く、はいはいと何にでも答えて、そこにいるだけを求められているんだろうなと。
手を出すな口を出すなが1番の本質だったのかと気づいた瞬間だった。
人間は、良くも悪くも、そういう想いはあるんだろうし、自分の中にも確かにある。
ただ、それを思われたくない人から、そう思われていたことに大きなショックを受けてしまっただけだ。
人の心の中は側からはわからないから、自分の心のうちさえ分からないくらいだし。
時が過ぎるのを待つし、今の自分の生活を淡々とやっていこう。
1人の時は、1人強く生けていけば良かった。
人間関係が増えると、心の流れが追いつかない。
折り合いをつけるところと理解してほしいって思うところと。
色々追いつかない。
ゆっくりやっていこう。
そのうち、追いつくようになるさ。
やっていくだけ。
自分の未熟さを感じるけど、今はまだ相手のせいにしておきたい。
ある自然食品の店主の言葉。
透視は野生の感。
そうかもしれないな。
先住民や昔の人達は、自然現象を見ながら、感も使いながら農業や狩りや病気治しや色々なことをやっていたと思うから。
私という存在を大事にして、みて判断して先を見ていく。
そういう感覚を持っていられるのが幼児期。
幼児期の発達は個人差が大きい。
毎日子どもといるから、個人差がさらに大きく感じてしまい、心配したり喜びすぎたり。
大人も自分の感を感じながら、子どもと寄り添い、子どもが伸びたいように、大人はどーんと構えていたい。
まずは自分がそういう大人になろう。
多少今までもやってきたが、さらにこれからも。