冬の長江に、北風が刃のように吹きつけていた。
川面には波よりも、曹操軍の旗が無数に揺れ、
北方の覇者が南へ南へと呑み込もうとする気配が満ちていた。
その重い空気を切り裂くように、
赤い衣をまとった一人の若い将が幕舎を出てきた。
周瑜――東呉の大都督。
端正な顔立ちに加えて、音楽も武芸も心得た万能の才。
だが何よりも光ったのは、その鋭く美しい頭脳だった。
「赤壁は――炎で焼き払う。」
その一言に、周囲の将たちは思わず息を呑んだ。
しかし周瑜の目はすでに風向き、地形、敵の弱点、
そのすべてを読み切っていた。
“北風が止み、東南風が吹くその時、
曹操の大船団は巨大な火薬庫となる。”
だが、その隣にはいつももう一人の男がいた。
諸葛亮。
静かで、どこか人外の落ち着きをまとった青年。
周瑜の策を聞き終えた諸葛亮は、微笑みながら静かに言った。
「東南の風は……まもなく来ます。」
その一言で、周瑜の胸に小さな波が広がった。
自分も読み切っていた風だ。
なのに、なぜこの男が言うと
“すべてを見透かした真理”に聞こえてしまうのか。
そして――
赤壁の夜、炎が空を割り、長江が真っ赤に染まった。
曹操の大軍は大混乱に陥り、
その勝利は周瑜の天才を天下に知らしめた。
だが、勝利の宴が終わったあと、
周瑜は一人、杯を握りしめたまま長江を見つめていた。
「諸葛亮……お前がいなくても私は勝てた。」
その言葉とは裏腹に、胸の奥では
ひと筋の陰が静かに伸びていた。
夜風が吹き抜ける中、彼はふと呟く。
「天下に英雄が一人でも多ければ十分なのに……
よりによって、なぜ私と同じ時代に諸葛亮が生まれたのだ。」
彼のため息は、まるで歴史が語る古い物語の一節――
劉備と孫権が同盟を結んだあの夜の酒宴や、
関羽が曹操と杯を交わした場面と重なっていく。
天才の光と、人間としての影は、いつの時代も隣り合わせだ。
現代の中国でも、競争や権力争いを語る時、
「周瑜を思い出せ(想周瑜)」という言葉が使われる。
それは彼を讃えるだけではない。
才能と弱さが同居していることを忘れるな、という警告でもある。
周瑜は天才だった。
だが、その心の器は、
最後まで諸葛亮を完全には受け入れられなかった。
赤壁を燃やした炎は天下を揺るがした。
しかし彼の胸に灯った小さな炎――
嫉妬と誇りの火は、ゆっくりと彼自身を焦がしていった。
一時代を彩った英雄でありながら、
もう一人の天才を認められなかった瞬間、
彼の物語は、すでに静かに悲劇へと傾き始めていた。
