私の父の記憶はいつも鏡を睨みつけながら1時間以上いる姿。私たちは音を立ててはいけない。
強迫性障害に近いものだったのか?

気に入らなければ誰でも殴る。私も弟も。母も顔の形が変わるほど殴られていた。未だにその理由には共感できない。

そんな私達は四畳半と六畳とニ畳のキッチンの汲み取りトイレの貸家に住んでいた。

一方的に理不尽な理由で殴られる音も、さらに耐える母親の呻き声も、汚く罵る怒鳴り声も全て聞かなければならなかった。

父は会社を経営していたのに家は小さな貸家。
寝るだけに帰る家などどんなものでも良かったのだろう。

6畳間にピアノ、勉強机二つタンスが二つ。
どんなに狭い空間か想像がつくと思います。

四畳半にはテレビ台に、ステレオボードに飾り棚にこたつ。

そんな中で14年間この父親のDVと共に生きてきました。


どこまでかかるか分かりませんが、思い出しながら書いていこうと思います。