映画* 4ヶ月、3週と2日 | 有閑マダムは何を観ているのか? in California

有閑マダムは何を観ているのか? in California

映画に本に音楽。

山に海に庭。

インドア・アウトドア共に楽しみたい私の発見記録です。 



中絶の話など、そもそも、楽しいはずのないテーマ。


女性にそんな選択肢が許されていない、80年代の圧政下にあったルーマニアで

もぐりの医者に頼んでこっそりとことを運ぼうとする女学生の話


とくれば、もうそれは、怖い!暗い



部屋の中、タバコをひっきりなしに吸いながら、落ち着かない様子で荷造りをする若い女性ふたり。

荷造りをしているけれども、楽しい休暇に出かけるわけでもなさそうで、

なぜか、テーブルの上のビニール製のシートを一生懸命外そうとしているシーンからスタートし、


だんだんと事の深刻さに、観ているこちらの眉間に皺がよっていく、そんな映画です。







有閑マダムは何を観ているのか? in California-4 Months



二人がやろうとしていることは、もしばれれば、監獄行き。


中絶を受けなくてはならない張本人のガヴィは、浮かない顔でオロオロするばかりで、

ルームメイトのオリティアが、秘密の計画を実行するために、走り回って準備を進めています。


もちろん、計画は順調にすすむはずもなく、次々と問題が発生。


手配するオリティアと一緒に、私たちもハラハラ、イライラ。

問題が発生するそもそもの原因が、中絶を受けるガヴィのいい加減さや甘えにあるのですから。


さすがに、行動力も、常識も、勇気も、知恵も、優しさも兼ね備えたオリティアといえども、

なぜ、こんな考え足らずの友達のせいで、自分が犠牲にならなくてはならないのか・・・

と、感じていたでしょう。


だけれども、オリティアは、ガヴィを見捨てたりはせず、最後まで計画実行のために尽くします。

そればかりでなく、自分が同じ目にあえば、ガヴィに助けてもらうつもりだと言います。


それは、なぜなのか??


中絶なんて、合法であっても気軽に受けるようなものではありません。


非合法にしたからといって、その必要性がなくなるわけではないのです。


この映画の中でも、これほど中絶に危険が伴う社会でありながら、

敢えて秘密裏に処置を受けなくてはならないのは、ガヴィだけではありません。

あのこも、このこも、過去にそんな体験がある。


覚悟が出来ないうち、準備が整わないうちに妊娠してしまうのは、軽率なのだと言い捨てることも出来ましょう。

だけど、女一人で軽率にやってしまうことではなく、

そこには必ずもう一人の責任者、男がいるはず。


それに・・・・必ずしも、合意の上で、妊娠にいたる行為が発生するわけでもありませんしね。


しかし、男にとっては、対岸の火事みたいなものなのでしょうか・・・

産んでしまえば、困るのは、女性。

産まないために、死と隣り合わせの危険を抱えるのも、女性。


深刻な事態に陥っているのに、ガヴィの子供の父親にあたる男性など、一度も登場しないばかりか、

会話の端にすらのぼりません。

オリティアのボーイフレンドだって、一見優しそうではあるけれど、

もしもオティリアが妊娠してしまったら??なんてこと、まるっきり考えちゃいない。


オティリアにとっては、考え無しの友達に振り回されたばかりか、

自分とボーイフレンドの間柄さえも、根本から考え直さずにはいられなくなってしまった、

とんでもない一日です。



このような映画を観るといつも思うのですが、

女として、産む性であることは、この上なく幸せなことでもあるけれど、

そのために社会で弱い立場に立たされがちな性でもあるのですね・・・・・・


現代のアメリカや日本は、この映画の舞台となった時代のルーマニアに比べれば、

全体としての女性の立場は強くなってきてはいるとしても、

でも社会の中には、やはり、今も、「産む性」の弱い立場に立たされている人もいるのだと思いますね。