人事の仕事って?
「シルバーウィーク」なるものは、いつから始まったのでしょう。いつの間にか“SW”なんていう略語も生まれているようですね。
連休中に、というか、ここ半年かけて読んだ本が、
今野浩一郎、佐藤博樹 『人事管理入門』 日本経済新聞社 (2005年)
今の部門に配属になってから、とにかく解らないことだらけで、読んでいた本。300ページ以上にわたって、ぎっちりと書かれた教科書的な本でした。
思えば、人事の仕事なんて、新卒採用くらいしか思い浮かばなかったのですが、
・処遇に関すること(給与制度、社員区分制度、配置・異動管理、etc)
・評価に関すること(人事評価制度)
・教育に関すること(教育研修制度)
・人事情報管理
などなど、実務を通じて、さまざまな仕事が存在することを思い知らされました。上記の分け方はたぶん一例に過ぎなくて、福利厚生、退職金・企業年金、労務管理やら、いろいろなものがそこには含まれているようです。
上記の本などを参考に、人事の仕事に関するさまざまな論点に触れつつ、外部の研修なんかにも行かせてもらって、半年かけてようやく人事の仕事の全体像がおぼろげに掴めてきました。人事の仕事も、なかなか奥が深そうだなぁという印象。ともあれ、上記の本だけで、個々の論点を深めていくのは難しそうですが、まずは人事管理というものの全体像を掴むには、良い本だと思います。
ここからは、自分で応用編を頑張ってみます。こうして得たベーシックな知識と、いろんな人の声と、そうしたものを混ぜ合わせて、あれこれ試行錯誤することの中からしか、真に創造的な仕事は生まれないのでしょう。
連休中に、というか、ここ半年かけて読んだ本が、
今野浩一郎、佐藤博樹 『人事管理入門』 日本経済新聞社 (2005年)
今の部門に配属になってから、とにかく解らないことだらけで、読んでいた本。300ページ以上にわたって、ぎっちりと書かれた教科書的な本でした。
思えば、人事の仕事なんて、新卒採用くらいしか思い浮かばなかったのですが、
・処遇に関すること(給与制度、社員区分制度、配置・異動管理、etc)
・評価に関すること(人事評価制度)
・教育に関すること(教育研修制度)
・人事情報管理
などなど、実務を通じて、さまざまな仕事が存在することを思い知らされました。上記の分け方はたぶん一例に過ぎなくて、福利厚生、退職金・企業年金、労務管理やら、いろいろなものがそこには含まれているようです。
上記の本などを参考に、人事の仕事に関するさまざまな論点に触れつつ、外部の研修なんかにも行かせてもらって、半年かけてようやく人事の仕事の全体像がおぼろげに掴めてきました。人事の仕事も、なかなか奥が深そうだなぁという印象。ともあれ、上記の本だけで、個々の論点を深めていくのは難しそうですが、まずは人事管理というものの全体像を掴むには、良い本だと思います。
ここからは、自分で応用編を頑張ってみます。こうして得たベーシックな知識と、いろんな人の声と、そうしたものを混ぜ合わせて、あれこれ試行錯誤することの中からしか、真に創造的な仕事は生まれないのでしょう。
マーケティングと夢
忘れないうちに読書感想。
嶋口充輝他 『マーケティング・アンビション思考』 角川oneテーマ21
ここでいわれる「マーケティング・アンビション」なるものについては、本書の中で一応の定義はされているわけですが、その定義を引用しただけでは、私には、よく解りません。定義をそのままいえば、マーケティングにおける「『やわらかい戦略』の中心コンセプト」、だそうです。
それよりも、章題をいくつか列挙した方がイメージは掴みやすいのではないかと思います。
たとえば、
マーケティングの使命は夢を売ること
跳ばない経営者は管理者に過ぎない
用意周到なドリーマーが求められる
などなど。
本書は、(社)日本マーケティング協会が進めてきた、21世紀型のマーケティングのあり方を探る「マーケティング・イノベーション21」というプロジェクトのひとつの結晶物として、6人の専門家がそれぞれの仕方で、現代のマーケティング戦略の方法論について語ったもの。その中心にあるコンセプトが、マーケティング・アンビションということのようです。
ここからは本の話ではなくて、実際に経験した話。営業マンとの雑談の中で、こんな台詞が出てきました。「コンペに負けて、クライアントに理由を聞きに行ったら、こんなこと言われたんだよね。――『もっと元気が出るような提案をしてほしかった』」
広告会社の端くれに勤務するものとして、広告が社会を豊かに楽しくする力を持っているのだと信じたいですね。私は、広告が社会に新しい夢を与えていた(といわれる)時代のことを知りません。でも、今こそ、そうした目線があらためて必要なのではないか、とは感じています。
もっとも、そこで語られる“夢”は、押し付けではなく、本当に生活者にとって価値あるものでなければならないわけですが。
嶋口充輝他 『マーケティング・アンビション思考』 角川oneテーマ21
ここでいわれる「マーケティング・アンビション」なるものについては、本書の中で一応の定義はされているわけですが、その定義を引用しただけでは、私には、よく解りません。定義をそのままいえば、マーケティングにおける「『やわらかい戦略』の中心コンセプト」、だそうです。
それよりも、章題をいくつか列挙した方がイメージは掴みやすいのではないかと思います。
たとえば、
マーケティングの使命は夢を売ること
跳ばない経営者は管理者に過ぎない
用意周到なドリーマーが求められる
などなど。
本書は、(社)日本マーケティング協会が進めてきた、21世紀型のマーケティングのあり方を探る「マーケティング・イノベーション21」というプロジェクトのひとつの結晶物として、6人の専門家がそれぞれの仕方で、現代のマーケティング戦略の方法論について語ったもの。その中心にあるコンセプトが、マーケティング・アンビションということのようです。
ここからは本の話ではなくて、実際に経験した話。営業マンとの雑談の中で、こんな台詞が出てきました。「コンペに負けて、クライアントに理由を聞きに行ったら、こんなこと言われたんだよね。――『もっと元気が出るような提案をしてほしかった』」
広告会社の端くれに勤務するものとして、広告が社会を豊かに楽しくする力を持っているのだと信じたいですね。私は、広告が社会に新しい夢を与えていた(といわれる)時代のことを知りません。でも、今こそ、そうした目線があらためて必要なのではないか、とは感じています。
もっとも、そこで語られる“夢”は、押し付けではなく、本当に生活者にとって価値あるものでなければならないわけですが。
法律家と農村社会の巫女
最近読んで、いろいろ考えさせられたのが、次の本。
郷原信郎 『「法令遵守」が日本を滅ぼす』 新潮新書
郷原信郎 『思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本』 新潮新書
「コンプライアンス」という言葉は、6年ほど前の就職活動時代に覚えた記憶があるので、たぶん、その何年か前くらいから世の中で話題になっていたキーワードだったのでしょう。そして、私が半年前に人事異動で会社の法務的な部分を少し担当するようになったせいで、あらためて、この言葉が気になり始めたという次第。
法務に関することについて、会社の人からいろいろ質問を受けたりして、その都度、いろいろ調べて回答するわけですが、そのたびに言われるのが、「で、結局どうすればいいの?」という台詞。こちらの立場としては、「事実として、法律上はしかじかということになっています。オトシドコロは、考えてください」と返したいのですが、これが全く受け入れられない。
そんな中で、出会ったのが前掲書(上の方)の中にあった
「法律家は巫女のような存在」
ということば。
上記の二冊は、いずれも、日本企業に蔓延する形式的な「法令遵守」が、真の意味で社会的要請に応えるものになっていないという主張を行うもの。その文脈で語られるのが、「法律家は巫女のような存在」というメタファー。そして、「思考停止」という現象の指摘。我が意を得たり、という思いがありました。
哲学の世界で、「基礎付け主義」というものがあります。いくつかの“絶対的に正しい”「基礎命題」から、演繹的に他の命題を導出していけば、一そろいの正しい知識が得られるという考え方です。逆にいえば、ある命題が真であることの主張は、その命題の真理性の根拠を辿っていって、最終的に基礎命題に行き着くことで示される、というものです。いささか乱暴にいえば。
では、その基礎命題自体の正しさは、いかにして示されるのか。その命題は、自分で自分の正しさを基礎付けているのか。それは独断ではないのか?あるいは、真理の連鎖(らしきもの)を辿っていっても、基礎命題なんてものは決して発見できないのではないか…基礎付け主義に対する反論は、さまざまにあると思います。
哲学の議論では、この基礎命題なるものの正体をめぐって議論が行われるわけですが、実社会では「法律」がこの「基礎命題」の役割を果たしているのではないかと思うわけです。その正体についてもよく解らないままに、とりあえず巫女の言葉は正しいもの、という認識でストップしてしまって、目の前にある命題の真理性を、自ら問うことをしなくなってしまっているのではないか、と。
法の実務家である著者が、法律家を農村社会の巫女にたとえて、「社会の外縁部で起きる特殊な問題を解決するのが、日本の司法だった」と述べているのは、とても興味深いです。
私も以前は、基礎付け主義のトリコだったもので、遵法精神もやみくもに高かったのですが、いくつかの経験を積むにつれて、「法律って大事だと思うけど、妄信してはいけないもの」と思うようになったわけです。前掲書の中で「象徴に過ぎなかった経済法令」なんて言葉が出てくると、ショッキングではありながら、どこか腑に落ちる部分もあるんですね。
法律を守ることは大事ですが、なぜそのような法律があるのかを問い直してみることを決して怠ってはいけないということでしょうか。真理というものが、関連する無数の命題間でのネットワークの中でのみ、意味を持つものであるとすれば。
…初回エントリーなので、気合い入れすぎた。文章を校正するのが面倒なので、とりあえずそのままアップします。
郷原信郎 『「法令遵守」が日本を滅ぼす』 新潮新書
郷原信郎 『思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本』 新潮新書
「コンプライアンス」という言葉は、6年ほど前の就職活動時代に覚えた記憶があるので、たぶん、その何年か前くらいから世の中で話題になっていたキーワードだったのでしょう。そして、私が半年前に人事異動で会社の法務的な部分を少し担当するようになったせいで、あらためて、この言葉が気になり始めたという次第。
法務に関することについて、会社の人からいろいろ質問を受けたりして、その都度、いろいろ調べて回答するわけですが、そのたびに言われるのが、「で、結局どうすればいいの?」という台詞。こちらの立場としては、「事実として、法律上はしかじかということになっています。オトシドコロは、考えてください」と返したいのですが、これが全く受け入れられない。
そんな中で、出会ったのが前掲書(上の方)の中にあった
「法律家は巫女のような存在」
ということば。
上記の二冊は、いずれも、日本企業に蔓延する形式的な「法令遵守」が、真の意味で社会的要請に応えるものになっていないという主張を行うもの。その文脈で語られるのが、「法律家は巫女のような存在」というメタファー。そして、「思考停止」という現象の指摘。我が意を得たり、という思いがありました。
哲学の世界で、「基礎付け主義」というものがあります。いくつかの“絶対的に正しい”「基礎命題」から、演繹的に他の命題を導出していけば、一そろいの正しい知識が得られるという考え方です。逆にいえば、ある命題が真であることの主張は、その命題の真理性の根拠を辿っていって、最終的に基礎命題に行き着くことで示される、というものです。いささか乱暴にいえば。
では、その基礎命題自体の正しさは、いかにして示されるのか。その命題は、自分で自分の正しさを基礎付けているのか。それは独断ではないのか?あるいは、真理の連鎖(らしきもの)を辿っていっても、基礎命題なんてものは決して発見できないのではないか…基礎付け主義に対する反論は、さまざまにあると思います。
哲学の議論では、この基礎命題なるものの正体をめぐって議論が行われるわけですが、実社会では「法律」がこの「基礎命題」の役割を果たしているのではないかと思うわけです。その正体についてもよく解らないままに、とりあえず巫女の言葉は正しいもの、という認識でストップしてしまって、目の前にある命題の真理性を、自ら問うことをしなくなってしまっているのではないか、と。
法の実務家である著者が、法律家を農村社会の巫女にたとえて、「社会の外縁部で起きる特殊な問題を解決するのが、日本の司法だった」と述べているのは、とても興味深いです。
私も以前は、基礎付け主義のトリコだったもので、遵法精神もやみくもに高かったのですが、いくつかの経験を積むにつれて、「法律って大事だと思うけど、妄信してはいけないもの」と思うようになったわけです。前掲書の中で「象徴に過ぎなかった経済法令」なんて言葉が出てくると、ショッキングではありながら、どこか腑に落ちる部分もあるんですね。
法律を守ることは大事ですが、なぜそのような法律があるのかを問い直してみることを決して怠ってはいけないということでしょうか。真理というものが、関連する無数の命題間でのネットワークの中でのみ、意味を持つものであるとすれば。
…初回エントリーなので、気合い入れすぎた。文章を校正するのが面倒なので、とりあえずそのままアップします。
