夢みるオッサンの北国日記 -73ページ目

夢みるオッサンの北国日記

夢を与えてくれる子供の応援日記を中心に、自分の趣味や日々思うことを書いています

弟が亡くなって、もうすぐ4年になる


4年前の今頃は


ほとんど反応がなく意識がない感じだった


母は今でも当時を思い出しては泣いている


弟と自分は8歳離れていた


血を分けた兄弟とか言うが


弟が白血病のとき、自分がドナーになって骨髄移植しているので、全く同じ血が流れていた


8歳も離れていて、同じ血が流れているのだ


可愛くないわけがない


弟は自分は正反対の性格で


大人しくて争い事が嫌いで


背も小さくて運動が苦手だった


要領も良くない


誰からも可愛がられていたが


進学した高校では虐められて


苦しみながらも休むことなく通い続けていた


そう、白血病の闘病よりは我慢できると、、、


弟の白血病は急性骨髄性白血病


難しいタイプと説明され、女優の夏目雅子さんの命を奪った病気とおなじだった


その病院では、当時はまだ骨髄移植をしていなかったので、化学療法で寛解を目指した


寛解して2年、再発しないことを目標にすると


当時はまだ小学校4年生


えっ?寛解して2年が目標って?


あまり理解できなかったことを覚えている


結局


寛解したものの数ヶ月で再発


薬物療法だと、さらに強い薬になり、効くかどうかもわからないと説明された


そしてもうひとつの方法は骨髄移植である


まだその病院では事例がなかった


しかし、病院としてやる方針であると説明され


無菌室の工事が始まり、研修に行っていた医師が戻ってきた


あとは型が合うかどうか、ドナーが見つかるかどうかだった


両親から血が分けられているので、親の型が合う確率は低いらしい


望みは自分だが


弟の血液型はO型


自分はA型


合うのか?って不安があったことも覚えている


幸い、血液型は関係なく、移植できることが判明


泣いて喜んだものだ


通常、ドナーは日帰り可なのだが


初めての事例でもあったので、弟の骨髄に放射線を当てる日から自分も入院して待機することになった


放射線が始まったら引き返せないので、万が一ドナーに事故があって移植できなくなると命に関わるからと説明された


そうして骨髄採取は無事に終了し、採取した骨髄を点滴で弟に入れていった


そして


弟の血液が造られ始めて、採血の結果A型になった時


医師から「骨髄が定着して血液が造られ始めました。順調です」と説明されて、家族で嬉し泣きした


弟は無菌室の中なので、簡単には会えなかったが


人生で血液型が変わるという、貴重な体験をしたことになる


そうして無事に退院して、なるべくストレスがない生活を心がけてと言われたが


数年後、高校で弟がいじめにあい、もし何かあったらと怒りが込み上げてきた


学校に対応をお願いするも、当時は虐めが今ほど問題になっていなかったこともあり、根本解決には程遠かったことを覚えている


それでも何とか休まずに頑張り、大学に推薦で進むことができた


大学では親友ができ、いつも5人で活動していた


ようやく人並みに青春を楽しんでいたであろう弟が大学1年の時


父が病に倒れる


癌だった


転移していて手術もできず、余命半年と告げられた


なんて事だ


自分は結婚したばかりで、孫が生まれるまで頑張ってくれる事を願っていたが


父が診断されてから8ヶ月後くらいかな


父が他界した


何とか初孫をその腕に抱く事ができたが、、、さぞかし無念だった事だろう


弟は大学2年


ちょうどその頃、弟の白血病は再発もなく、移植から10年たったので、完治したと告げられた


安心していたその半年後、、、


父の一周忌もまだという、二十歳の誕生日が目前だった弟の様子が変わり始めた


自分の誕生日や時間などが言えないのである


考えても言葉にならない、わからないのだ


そして頭痛を訴えた


急いで病院に行くと


「脳神経膠芽腫です。悪性腫瘍の最も難しいタイプで、拳大の腫瘍があります。すぐに手術しましょう」


「一年生きられる患者さんは100人にひとり(1年生存率1%)で、さらにもう一年生きられる患者さんはその中の100人にひとりです」


と告げられた


2年生存率は10000分の1?


なんて残酷なんだ


神様を恨んだものだ


世の中に悪人は沢山いるのに


そいつらはのうのうと生きていて


なぜ善良で虫も殺せないような弟がこんな目に遭うのだ


そういうことばかり考えてしまう


本当に信じられなかった


この病気


当時から20年ほど経つが、いまでも余命は2年程度と言われている


手術と放射線治療をしても、である


それほど難しい病気なのだ


そうして、弟は難病第二ラウンドとして、脳腫瘍との闘いが始まった









未だに思い出すとなかなか辛いので


また気が向いたら続きを書きます


何年先になるかわかりませんが、、、🙇‍♂️