まず、頭の片隅に置いといて欲しいのは、
この話に加害者は誰一人としていないということだ。
哀れな男が1匹いるだけである。
店に入った瞬間からアウェーな空気を感じる。
もちろんこちらが勝手に感じているだけあるが。
髪を染められている若い女性。
イケメン美容師にやけに馴れ馴れしいタメ口で語るマダム。
普通にもう良い髪型だからキモオタには一体どこを切るのか
わからないおしゃれな男子大学生。
あちこちから聞こえるドライヤーの音、
整髪剤やシャンプーや僕には名前もわからない頭につけるモノが
混じり合ったさわやかにケミカルな香り。
五感で感じるアウェー感は本能的な忌避感に近い。
あまりにも場違いを感じてしまう。
朝イチで教室を間違えて、ナチュラルに隣のクラスに入ってしまった中学2年生の夏くらい恥ずかしい。
「あっ……あ、あれ~?山本は……あ~まだいねえか…ふーんホーン...」
みたいな顔して出ていくことしか出来ない空間。
セルフ共感性羞恥。(つまりただの羞恥である)
あの時感じたものに近いアウェー感と小っ恥ずかしさに約30分耐え続けなければならない。
店員さんが来る。もちろん彼らは敵ではない。
自分では出来ない髪の毛を切るという行為を、
お金を払えば代わりにやってくれる技術を持った立派な方々だ。
とはいえ、彼らの発するオーラが、
纏っている属性がどうしても苦手に感じてしまうのだ。
僕らが元野球部の人間とは一生ウマが合わないと本能で感じるように、
立ち振舞い、歩き方、表情の作り方、etc...細かな所作が、僕の苦手なタイプの人間だと、脳に直接訴えかけてくる。
「カードはお持ちですか?」
ホットペッパービューティーで予約をしていることを伝えて会員カードを渡す。
ラウンジに案内され、荷物や上着がある場合は丁寧にロッカーに運んで行ってくれる。
上着はきちんと伸ばして清潔なハンガーにかけられる。
ロッカーの番号が書かれた鍵つきバンドが渡され、それを手首に嵌めてラウンジに座りソワソワと順番が来るのを待つ。
ラウンジのテーブルには綺麗に飴が盛られているが、ほとんど手をつけられた様子はない。
置かれている飴を卑しくペロペロ舐めない程度の人間が利用する店だということを前提としたインテリアのような、そういう類の暗黙の了解的な"圧"を感じる
焼肉屋に置いてある飴とは機能的な、あるいは記号的な意味合いが違う。
たぶん僕の受け取り方が卑屈すぎるだけで、たぶん店にはそういった意図はあんまないと思う。
「○○さま、こちらへ~」
席に通され着席する。
「よろしければどうぞ~」
鏡台のテーブルに3冊雑誌が置かれる。
「今日はどのようにされますか?」
ここからが地獄の時間の始まりである。
本音を言えばどうにもされたくない。
そもそも髪を触られるのが苦手で、触られたくなければ切られたくもない。
でも僕は自主的に髪を切られに来ている、よくよく考えれば妙な話だ。
「だいたい切ったのが1ヶ月ちょい前くらいなので、伸びた分切る感じで・・・
全体的に軽くしてもらって、前髪は眉くらいで、それに合わせてお願いします。」
「ツーブロはどうします?見た感じ前回もちょっと入れてたみたいですけど、何ミリくらい?」
「や、やりすぎない程度に・・・」
やりすぎない程度にってなんだよ、ちょっと困ってるだろ美容師さんが。
お前の中でもぼんやりとした主観が伝わるわけないだろ。前回のカルテとかはあるにしたって。
「僕みたいな感じの人が夏すっきりするくらいの雰囲気の・・・」
何を言っているんだこの口は。
僕みたいな感じの人ってどんな感じの人だよ、キモオタか?キモオタか・・・
「ギリ地肌が見えないくらいの感じで入れときますね~!」
「あ、はい。あとはいい感じで、全体的に似合う感じでおねがいします。」
いい感じってなんだよ、オーダーが悪い感じすぎるだろ。
「はい!だいたいわかりました~では切っていきますね~」
霧吹き状のもので髪を濡らされ、チョキチョキと髪が切られ始める。
キモオタ諸兄なら語彙を以って説明せずともご理解いただけると思うが、
鏡の前で長時間自分の姿を見るということは拷問である。
なんとしても目の前の鏡に映る様子から、イケてるお兄さんに髪を切られる気持ち悪いオタクおじさんの光景から意識を逸らさなくてはならない。
美容室とは鏡に映る自分の姿との戦いなのである。
意識を逸らすため、まずは鏡台のテーブルに置かれた雑誌をペラペラとめくる。
海外のイケオジが、ありえないくらいダサい短パンと、
バカ高い割にスギちゃんにしか見えんようなファッションで、
海や山などのアウトドアシーンで決めポーズをしている。
ドヤ顔でレイバンのサングラスを顔から少し持ち上げている。
文章もありえんダサい。
一体この文体が誰に刺さるのだろう?
全体的におじさん構文のレトリックが醸し出されている。
しかし、職人技を感じさせるダサ文章職人の匠の技であることは確かだ。
「行けない今だからこそ、西海岸〈カリフォルニア〉に思いを馳せて………
ページをめくるとそこは西海岸〈カリフォルニア〉………」
じゃあないんだよ。
これがカリフォルニアなのか・・・?
カリフォルニアの気風を一切知らない僕には、
顔が良すぎるイケオジがビーチでダサすぎる格好をしている土地というイメージになってしまった。
南極にはペンギン、北極にはシロクマ、カリフォルニアにはダサいイケオジ。
ペラペラとページをめくる。
クラシックにキメる足元からの大人ファッション、
「この靴の表情は"感動"・・・」
"感動"じゃあないんだよ。
感動をセールスポイントにするならユニクロの感動パンツだって感動できる。
そもそも表情ってなんだよ。ふんわりとしすぎだろ。
5万円以上するような靴なら他にもっと具体的なセールスポイントがあるはずだろ。
ちなみにユニクロの感動パンツはマジで良い。
夏場はパンツ(下着のほう)はもちろん、膝裏、太もも、ふくらはぎの裏まで
汗をかくタイプのキモすぎ人間でも涼しく快適に過ごせる。
汚れや摩擦に弱いのが少し難点。
その後も髪を切られながらペラペラと雑誌をめくる。
5年働いても到底手が届かぬような高級時計のページをまるで興味があるかのように眺め、
1ページだけ無理やり付け足されたような、雑誌のターゲット層が到底購入するとは思えない
ゲーミンググッズコーナーで紹介されているマウスコンピューター製のPCのスペックを冷やかし、電子タバコ紹介ページの「タバコは時代遅れでイケてるオトナはICOS」のようなプロパガンダには、100年後には現在から見た日中戦争時のタバコの広告みたいに思われたりするのかな?
などなど、益体もないことを考えて、目の前のデカい鏡に写ったオタクのおじさんが髪を切られる様子から徹底的に意識を逸らす。
そしておすすめデートスポート、健康グッズや夏の制汗グッズ、なんも害のない謎の漫画などのコラムが続き、ジャンプの最後のページのような広告コーナーで雑誌は終わる。
・・・
え、まだ8分・・・?この雑誌読み流してからまだ8分しかたってないの・・・?
おそらくあと20分以上髪を切られるのに・・・?
しかし、今の雑誌を読んだあとに、他に置かれた2冊に手を出そうとは到底思えない。
台に置いたスマホを持ち上げ、メールフォルダを開く。
新しいものは何も届いていないが、すでに確認したメールをまるで意味ありげに眺める。
Discordを開いて、習慣的に見ているわけではないサーバーの新規通知を読む。
Twitterを開いて・・・あっ、ブルアカのえっちな画像だあっぶね!
そんなことはされないとわかっていても
万が一、奥が一、スマホの内容を見られて
「○○、お好きなんですか~?」
「○○ってインフルエンサーフォローしてます?」
なんて言われた日には目も当てられない。
別にスマホで見ている内容なんて美容師さんも興味を持っちゃいないし、
あちらもプロなので100%間違いなくこちらの自意識過剰であるが、
単純に視線を少し移動すれば見られてしまう位置関係で
インターネットサーフィンをすることに抵抗があるのだ。
スマホの中は僕の居住区である。
されないとは分かっていても、土足で踏み込まれる可能性そのものを1ミリでも排除したい。
ぼちぼち、そんなことをして時間を潰す。
シャンプーまではあと10分くらだろうか。
このあたりで手元で行える手札は切り尽くされる。
既に興味がないことが見透かされているであろう他の雑誌に手を伸ばすのも、
虚無のインターネットサーフィンをするのも居心地が悪い。
だからといって目の前で髪が短くなっていくキモオタクを眺めているのは
もっと居心地が悪い。なんとしても意識を逸らしていたい。
そこで最終奥義、"なんか眠そうにする"を発動する。
少しずつ瞼が重そうな雰囲気を醸し出し、約30秒かけて静かに目を閉じる。
そうして残りの10分程度をやり過ごし、「じゃあ一旦流しますね~」
のシャンプーの声で目を開き、散髪を終える。
その一言だけは聖書の一節を読み上げる牧師の声のように響く。
「こんな感じでどうですか?
触ってみてどれくらい軽くなったか確かめて頂ければ~」
美容師さんがバックミラーを開いて後頭部も見せてくれる。
まるで吟味するように片眉を少し上げ、片手で髪をワシワシしながら
その時になってようやく初めてまともに鏡を見る。
ただし、別に出来なんて気にしちゃいない。
また1ヶ月ちょい後に来れば良い程度に髪が短くなっていて、
この時間が終わってくれればそれで良い。
その上、かろうじて人間に見えれば文句なしの万々歳だ。
会計を済まし、店から出て、外の空気を肺にめいっぱい取り込んで、
大きく吐き出す。
普段は絶対行わないようなリフレッシュをする。
そしてようやく人目を気にせず自由にTwitterを開き、
このあと1ヶ月半は髪を切らないで良いことを歓び、
その開放感と共に疲れを晴らすようにどうでもいいツイートをするのだ。
「髪切ってイケメンになった・・・w」
僕の髪型は来月も変わらない。