人事戦略 | 気ままに・・・

気ままに・・・

ブログ再開!うちのおこちゃま達が見ても大丈夫なブログに今度はするぞー!!

ごめんなさい。広告ペタが多いため、ペタの設定をできなくしました。

社長のかばん持ちをやっていたころ、人事戦略を徹底的に学んだ。

当時覚えた手法として、ナイングリットコンピテンシーやコア・コンピテンシーやEQなどのほかに人事戦略の本を8冊くらいは読み、研究した。


当時、評価主義が導入されたばかりだったので、年棒制の導入と、社長との直接交渉により、次の年の年棒を決めるというやり方を実施していた。


私が来る以前からの方針であったから、引き続き継承した。


しかし、人件費に回すお金が無い赤字企業の中で、昇給を実現させるには非常に悲しい現実が裏には秘められる。誰かが増える分、誰かを減らす。


中には、生活がかかっている人もいるが、成績の問題と売上不振店となった店舗の業務縮小による異動に伴う雇用形態の変更。などという姑息な手を使って、囲い込みたい人物にお金が回るように細工したものです。


正当な評価をするために、多面評価を導入した。本人、直接の上司、同僚、社長の総合的な点数を用いて、全体の中で相対的なスケールで、分配率を変える。

面談の際、評価の高い人物も、社長の一言で1割程度カットされたりする。


むなしかった。


最終的に、人件費を余らせて、負債の削減へと回すのです。それでも、従業員を守ることを何とか考え、イベントの企画で売り上げをUPさせたり、商品の見直しで粗利益をUPさせたりしながら、捻出していった。


功を奏して、赤字幅の減少へと結びついたものの、人件費の枠は拡大されず負債の減少へと回された。


いや、拡大は若干されたのかもしれない。

かばん持ち(経営企画)として、働いていたため評価は高かった。年間150万円を上乗せするから引き続き事業を手伝って欲しいと言われ、1年契約を更新。

けれど、2年目も成果を出したものの、社長との面談で涙を流す従業員を見るに絶えず、転職を考えた。

削られる従業員の給与。去ろうとする私にさらに150万円を上乗せすると言う社長。


実際に、末端で1つずつ手売りをしている従業員の苦労を解ってもらえない。





さて、そんな昔の事ですが、今はどうかというと・・・。


お手伝いをしていた会社で、失業給付が切れるので・・・と以前から相談していたら、「社員で・・・」という話をいただけた。ありがたい事である。失業者でありながら、就活をほとんどせずに、低賃金でも居心地の良い職場に居させてもらえる。


そう、思って「お願いします」の返事をした。


一緒に働いている、仲間と利用者さん達とも、これからずっとやっていけるという思いはひとしおだった。


安い賃金でも、何とかやって行こうと思えるほど、私は必要としてくれる人たちのいることをありがたいと思った。


お祝いの飲み会の前「まず、半年契約社員で様子をみたいって」上からの言葉の伝言を耳打ちされた。


1年間で、私が職場でやった事は、フルタイムで働いている以上の内容だと自分で思っている。

それは、拘束されている時間が限られているだけで、不足している時間を自宅に持ち帰り、やっていたからだ。それは、出来上がったものの、精度を見ればわかるだろう。


わたしが、かつてかばん持ちで、強引にも従業員への給与や雇用体系を変えていった罰を受けた。


引きずっていられなかった。ドリプラ(夢のプレゼンテーション)の発表が迫っていた。頭を空にする必要があった。少し、多めに「ルボ」を飲んだ。副作用の貧血。


週明けに「業務請負終了のお願い」という書類を作成し、直接仕事の依頼を受けている本部に送った。


ひとつは、契約上2週間前にその契約を解除する通告を双方で行うことができること。


ひとつは、それでも困らない体制を会社が取っておくべきだったのを、囲い込みをすることができなかったことを理解させるため。


ひとつは、大事な事を飲み会の直前に耳打ちで済ませたこと。


わたしの価値は、そうやって2週間前に告げて、去っていっても誰も困らない存在なのだ。


うん。恐らくなんだかんだで、誰かが応援に来たりして、何とかなるのだろう。心配はいらいない。





人材が流動化している時代である。


能力のある人間の見極め方を適当な賃金と期間限定契約社員で確認し、能力があれば正社員へという会社が増えている。


戦略的に人事を考える場合、これではだめだ。コアとなる人物は正社員で固める。


ルーチンを任せられる人たちを、契約社員、アルバイトにする。コアメンバーは、当然ルーチンをこなせないとならない。


けれど、物をゼロから生み出すアイデアを、その職場で様々な角度から見ることのできる人間は少ない。


自分がそうだと言うのではなく、1年間で作り上げたものはどのくらいの価値を生んでいるかを見てほしかった。


納得した待遇から、下げられたとき、自己肯定感は極端に下がる。

ただでさえ、自分自身の能力に自信が持てない人間が、そこで引き続き同じように働けるはずがない。


若年者雇用促進助成金も、高齢者雇用促進助成金も、障害者雇用の助成金も会社には入らない。ましてや、福祉の業界では新参者だ。もし、仮にだから先延ばしにされたのだとしたら、人の価値は何で決まるのだろうか。本当に弱い立場の人間は誰なのだろうか?


幸い、拾ってくれる友人は何名かいるし、ネットワークもある。

頼りたくない部分もあるけれど、おもしろそうな仕事の話も舞い込んできている。

お祭りをルーチンワークの様に繰り返すことのできる仕事だ。

たとえば、オーナーがそれを望んでいなくても、誰もが来たがる。誰もが利用したがる。そんな場所にしたいと願い続け、実現できたらいいと思う。


私の「ドリプラ」も作ることができるだろうか・・・。夢の無い人間でも。