1985/1 雑誌「エキプロ」最後の女子プロ特集 1984年まとめ | 時系列でみる! 極悪同盟 ダンプ松本 ファンブログ

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極悪同盟(特にダンプ松本さん)のプロレスを時系列で整理します。思い入れのある雑誌処分のためブログに残して廃棄します。「テーマ別」で時系列で閲覧することができます。妄想で書くこともしばしばですが1年(+α)かけてやる予定です

1985/1月をもって、エキサイティングプロレスは女子プロレスを取り上げるのが最後となりました。(エキサイティングプロレス自体が1985年の2月で発刊を終了)

1984年代で女子プロレスをカラーページを取り上げる雑誌はほとんどありませんでした。週プロも、週刊ゴングも、わずかに取り上げることはあっても、それは白黒の小さな1コラムです。

 

また、1980年~1984年の「ダンプ松本」、特に「松本香」時代を調べようとしたとき、頼みの綱のプロレス誌には情報がほとんどありません。公式パンフレットにしか頼れないのが辛いところです。現在はYoutubeに試合がアップされているので、なんとか分かるようになりましたが、アップされる前はほとんど調べようがありませんでした。

ということで、頼みのエキサイティングプロレスはここで終わりです。1985年以降は、週プロやデラックスプロレスに女子プロレスが比較的多く掲載されるようになります。

 

 

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女子プロに捧げる詩

昭和58年4月1日、後楽園ホール。 漆黒の闇を切り裂くスポットライトが、四角いリングにたたずむ二人 の女戦士たちを浮き上がらせていた。 三三萩原、タランチェラ(伊藤浩 江) 一時代を築いたヒロインが消えた。そして、年の瀬も迫った1 月、エキサイティングプロレスは、 女子プロレスとともに歩んだ1年半 の歴史をここに閉じ、再び来るであ ろう"時"を待つて翼を休めることになった。
さよなら、"女子プロレス" 思えばこの一年半、彼女たちは多くの 感動と人間模様を我々に与えてくれ た。
女子プロレスの元旦は、1月3日 のマラソン大会&餅つき大会で始まる。絶対に勝つぞ、と思い最初からスパートをかける選手。息も絶え絶 えにやっとのことでゴールする選手。 女子プロレスといえども、まだ若い 女の子の集団、様々な人間を垣間見 させてくれる。そして、昨年まで断然の強さを見せていたライオネス飛鳥が2位に転落、ニュー・ウェーブ の永友香奈子が優勝した。

2月28日 神奈川県相模原市体育館でダンプ松本&クレーン・ユウ とデビル雅美が仲間割れ。長い間の ダイナミック・ジャガーズとデビル軍団の抗争に終止符を打ち、新しい 時代の予感をさせた。また、この日 は山崎五紀が念願の初戴冠。一人歩きを始めたのだ。
また、
嵐のように怪覆面マネージャーが現われ、ダンプ&クレーンは 極悪同盟と名乗った。
7月5日、グングンと人気の上が つて来たクラッシュ・ギャルズが炎の聖書をレコーディング、現在のクラッシュ・ブームの火付けとなった。 そして、恒例になりつつある夏の合宿。山崎照朝氏(本誌護身術教室講師)の猛トレーニングに涙する選手が目立った。
8月25日、後楽園大会で、ついに クラッシュ・ギャルズとして初戴冠。 長与の目には涙が、飛鳥の表情には喜びが表われていた。
9月6日、フジTV杯争奪タッグ リーグ戦は女帝コンビが獲得。一気にタッグ戦争が燃え上がる。
9月17日、因縁のギャラクティカ との一戦にUWA、WWWA両タイ トルを賭けて、見事に勝ったジャガー横田。女子プロレスが新しい方向 へ動こうとしている。
こうして昭和59年も暮れてい こうとしている。選手たちは、この 空前の女子プロ・ブームを振り返っ た時、何を感じ何を思い何を心に留 めるのだろうか......。
1年半前の5000人の歓客動員数でよし、とした時代から、はるかなメジャーな世界に女子プロレスは変わりつつある。しかし、彼女たちの 心の中にあるものは変わりはしない。

 

ダンプ松本―極悪非道に徹したそのファイトはまさにプロと言っていい。巨体すぎるための体の故障が気にかかるが........。
クレーン・ユウ―極悪旋風を巻き起こした立役者だ。ダンプとのコンビは女子プロ史上最高のヒールといっていいだろう。

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さて、写真を拡大してみます。

 

思えばこの解散劇からダンプの快進撃は始まりました。

 

まだヨチヨチ歩きを始めた頃の極悪同盟、ダンプとクレーンでなんとかしようと奔走していた頃。1984年4月くらい。

 

1984年7月頃には定番の格好が板についてきました。ちょぅどフジテレビのゴールデンタイムで放送が開始された頃です。

 

ダンプの絶頂期は1985年だと思いますが、1984年の頃のダンプも大好きです。この頃はヒールとしてNo.1への道を試行錯誤をしており、本ブログでも最も力を入れるべきところだと思っています。まだまだ分からないことが多いのが1984年です。「松本香」時代の要素を捨て去り、どんどんと変貌していくメイク、リング上での仕草、凶器攻撃の数々。最初はクレーンと2人で同じようなことをしているのですが、だんだんとダンプのプロ意識が抜け出していく後半。これが1984年の面白さです。

 

続いてクラッシュの質問コーナー。

 

 

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皆な! 元気してたかな。 本誌エキプロでやったクラッシュの質問コーナーが大好評だったというわけで別冊でもやっちゃうぞ!
 

飛鳥 読者の皆さん聞いてよ。 千種 は食い意地張っちゃつて、今食事中だからトモから先に行くね。エ~ト 埼玉県上尾市の高校1年生の女の子 から・・・。 『飛鳥さんはダンプ松本選 手のことをどう思いますか」という 質問。 

う~ん、ダンプって太ってますね。
長与 (口をもぐもぐさせながら) やせませう。
飛鳥 こらつ、千種。じゃまするん じゃありません。 ダンプ松本のことだけど、最近とっても貫禄がついてきたような気がしますね。普段はめったに話をしないから、よく分かりませんね。もしかしたらあのままじ ゃないですか。

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この頃はダンプにめちゃくちゃに凶器攻撃をされていたクラッシュですが、ダンプの悪口をほとんど言っていません。「太ってますね」「やせましょう」「貫禄がついてきた」。

長与も飛鳥も、ダンプのことを昔から知っているし、極悪はクラッシュ人気に絶対必要なことを理解していたのでしょう。とはいえ、好きか嫌いかで言えば、試合としては嫌いなタイプの選手だったとは思いますが。(^^; 1985年になると、松永会長の策略で、本格的にムカつき度が高まるのかもしれません。

 

以前のクラッシュの質問コーナーでもありましたが、オフのときでも、クラッシュとダンプはほとんど会話をしていなかったということです。理由はファンが話しているところを見たら、興ざめするから。意識的にヒールとは話をしないようにしていたようです。だから、仲が悪いということはこの頃はなかったみたいです。もっとも、マンガの「ダンプ・ザ・ヒール」や「ザ・ヒール」を読むと、ケンカしているみたいに見えますけどね。どうなんでしょうか。

 

 

続いて、1985年の抱負と課題をそれぞれの選手が語っています。

 

 

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ダンプ松本
松本香 35年11月11日 埼玉県 165センチ、100キロ ラリアット、凶器攻撃

 

「抱負? んなもんねーよ。ともかく今年以 上に暴れまくることは間違いないね。そして クラッシュ・ギャルズの二人、覚悟してろよ 必らずプロレスのできない体にしてやるから な! ファンに一言言えって? 私らにファ ンなんかいらねえよ。血を流したくなかった らキャーキャー、クラッシュの応援するのは やめることだね。」
 

本庄ゆかり 37年10月31日 東京都 175センチ、100キロ ボディ・プレス、ヒップ・ドロップ


「クラッシュをブッこわしてやるよ。女子プ ロマットは極悪の花でいっぱいになるね。もちろんWWAのベルトは私とダンプの腰に巻 かれてるね。あんなやつらにはベルトは似合わないよ。 考えて見ろよ、体が違うぜ!
来年は大暴れの年になるから怖かったらべ ルトを差しだしたらどうだい、クラッシュよ。」

 

中野恵子 43年1月8日 埼玉県  170 センチ、85キロ ボディ・アタック
 

「いい子ちゃんレスラーには飽き飽きした。 強い者が勝つあたり前のことだよ。極悪同盟に入ったのだってそのため。クラッシュ ・ギャルズよ先輩だからって手加減しないか らね。これからはダンプさん、ユウさんと一 緒に暴れまくってやるよ。潰されたくなかっ たら私たちのそばには近寄らない事―そう 注告しておく!!」
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3人の性格が見て取れます。

ダンプは「ファンなんかいらねぇよ!!」とバッサリ。さらにクラッシュファンもバカにしまくっています。一人でどこまでも突っ走る気が満々です。怖いものなしです。

 

クレーンは「私とダンプの腰にベルトが巻かれている」と書かれています。クレーンはYesマン的なところがあり、あまり「私がとる」「私がベルトを」という自主性は強く見られず、「ダンプと取る」「ダンプと私にベルトが巻かれている」と頼っているところがあります。良く言うと仲間意識は強いです。悪くいうと自分がトップに行くという根性がそこまでは無かったとも言えます。

 

中野はいま振り返ると、当時は相当にムリをしていたんだなぁ・・という感じです。(^^;

「もういい子ちゃんは飽き飽きした」なんて、全然思っていなかったのでしょう。「歌って踊れるベビーフェィス!!」が目標でしたからね。このあと半ハゲにされて覚悟を決めることとなります。