1984/3 雑誌「小説新潮」ダンプと一番仲が良かったベビーフェイスは立野記代? | 時系列でみる! 極悪同盟 ダンプ松本 ファンブログ

時系列でみる! 極悪同盟 ダンプ松本 ファンブログ

極悪同盟(特にダンプ松本さん)のプロレスを時系列で整理します。思い入れのある雑誌処分のためブログに残して廃棄します。「テーマ別」で時系列で閲覧することができます。妄想で書くこともしばしばですが1年(+α)かけてやる予定です

1984/3月号の小説新潮は、立野記代を特集しています。この中で松本のことも言及されています。

また、松本の愛犬、ポロンとクルミも一緒に写真に写っています。

 

 

---------------------

巡業には愛犬のクルミ、ポロンを一緒に連れていく。めったに実家に帰れない彼女にとって、愛犬は大切な心の支えだ。「でも、もう3年目だし、だいぶ慣れました」。写真は、久しぶりに帰った自宅前の公園で、先輩のジャガー横田、松本香と。

---------------------

松本が金髪になる前なので、時期的に1984年の1月だと思われます。

松本、ジャガー、立野というかなり珍しい組み合わせです。

 

この写真と説明文だけを読むと、ポロンとクルミが立野の愛犬のように見えてしまいますね。

小説新潮の記者も、愛犬が立野のものだと、勘違いしたのかもしれません。

ページの最初から見ていきます。

 

 

 

----------------------

アホウドリの女性不案内 立野記代


「赤コーナー、全日本ジュニアチャンピオン、140パウンド、 立野記代!」
ゴングが鳴ると、"女子プロレス界の松田聖子" と呼ばれる彼女の表情は、蝶も花も踏みつぶさんばかりの形相に一変する。身長一六四センチ、体重六二キロの体が宙に飛び、 マットに叩きつけられ、ウメキ声が上がる 。年間で約三百日の巡業、そして、酒・タバコ・オトコに手を出したら即クビという、キビシくも清く正しく美しいこの世界。「今はやめるなんて ことは全然考えられないです」。十八歳、栃木県足利市生まれ。

----------------------

 

 

----------------------

ダカラドウダッテ言ウノカ
 

男のプロレスには、村松友視という強力な味方が出現したおかげで、誰はばかることなくファンを標榜することができるようになったけれど、片や女子プロレスについては、誰もまだ妙に口ごもる。
「女子プロレスのファンです」
と、ぼくがこれまで本心を明かさなかったのは、もし、愛好者であることを表明したときの相手の胸の内が手に取るように判るからである。
「厭ラシイ」
「軟弱ナ奴ダ」
「好キダナァ」
といったケイベツの視線がきっと返って くるにちがいない。
先日(一月四日)も、後楽園ホール(東京)で、今年最初の「'84年新春チャンピオンシリーズ開幕戦」が開かれたのであるが、 ぼくはタクシーを拾って、

「後楽園まで」
と行く先を告げたら、しばらくして運転手が、
「きょうは後楽園は何があるんですか」
と話しかけてきた。

----------------------

 

 

----------------------

ふだんであれば適当にコトバを濁しておくのだけれど、なにしろ新年早々の女子プロレスで、ぼくもいささか高揚しており、 

「女子プロレスです」
と、つい答えてしまった。
その年若い運転手は、案の定、すぐには返答をしかねたようで、一拍置いてから、
「ヘエー、女子プロレスですかァ」
「見たことあるの」
「イヤ、テレビでは一、二度あるかな。私の友人が、名古屋で一度見たって言ってたけど、エエ、なんか興行やってる人に招待されて、で、アレ、舞台裏じゃ仲がいいらしいですね」
「仲がいいって?」
「ホラ、リングの上では、コノヤロウッなンてやってるでしょう。でも、終ったら普通の女のコなんだって、友達が言ってまし たけどねぇ」

 

ダカラドウダッテ言ウノカー

 

とぼくは 言い返しそうになったけれど、やめた。判ッチャイナイノダ。
女が男に向って本気に取っ組み合いの戦いをいどんできたら、これはもう手の施しようがないことは、体験者であれば苦い思いとともに深く頷いてくれることだろう。 引っ掻く。蹴飛ばす。抓る。噛みつく。 責める。泣く。はてはハサミを振りまわし (コレハ反則ダ) 容赦をしない。男はただ黙って堪えるか、リングを出て行くしか術がないのでございます。
これが女同士の争いとなれば・・・・。

 

思わず身震い
 

前置きが長くなりそうだ。メーンエベン トは長い前座のあとに開始されるので、もう少し前書きを続けよう。
「居酒屋」のマリア・シェル
「にがい米」のシルヴァーナ・マンガーノ
「静かなる男」のモーリン・オハラ
(古い作品で恐縮だけれど)、この三本の映画を、ぼくはひそかに女の喧嘩ベストスリーに上げている。
なかでも、「居酒屋」の洗濯場におけるマリア・シェルのケンカぶりは凄まじいか ぎりだった。
金切り声をあげて相手の女に組み付き、 水びたしの床に押し倒すや、二人は上になり下になって転げまわり、あげくに敵のスカートを捲り上げ、パンツを引きずりおろして、お尻を思いっきり打擲するのである。 もしこの現場を実際に目撃したら、ジャイアント馬場といえども、真っ青になって裸足で逃げだすことだろう。

 

ついでに軟弱と言われようと、あえて告白すれば、ぼくは男のプロレスというものをかつて一度も観戦したことがない。TVで放映される試合でさえ、五分間と続けて見たこともない。かの力道山と木村の日本選手権試合は、たしか高校生の頃だったと思うけれど、まだTV受像機はわが家になくて、それに街頭テレビなどもない田舎に住んでいたので、ラジオで実況放送を聴いたのだったが、ただ陰惨な印象だけが残っ ている。
べつに美しくもない大男たちが、互いの肉体をぶっつけあい組んづほぐれつするさまを眺めても、ぼくは嫌悪感が先に立ち、 チャンネルを回してしまう。男が男の股座に首を突っ込み、ここを先途と締め上げる。汗臭クナイダロウカ? とぼくは決して自分が潔癖だとは思わないけれど、つい顔をしかめてしまうのだ。いったい男同士が公衆の面前で、しかも裸体に近いナリをして、マットの上で寝技を展開してもよいものだろうか。それをまたカネを払って応援するファンの気が知れない。ぼく、考えるにどうも男同士の汗臭さというのが、生理的に駄目で、アレルギー体質のようである。

 

体育会、部室、柔道着、そして軍隊、兵舎、と汗の臭いの充満するあれこれが連想されて、戦争体験のない世代で幸いだっ た。軟弱だなあ。
男ハ女子プロレスカラ何ヲ学ビトルコトガ可能ナリヤ。
「クノヤロッ」
「コンチクショウ!」
「コレデモカッ」
「ギャアアア」
「グワァァーッ」
「ギブアップ!!!(参ったか)」
男は、粛然たる気分に包まれ、ひたすらわが非を悔いながら、それでも血相を変え
た女に日頃にない魅力を感じたりして、なんとも男のアホらしさを自覚させられるのでございます。

女性の汗は気にならないのか?と言われると返答に困る。このへんがぼくの勝手で、リングの女子レスラー、怒り猛り狂うにつれ、その白い背中は薄く刷毛ではいたように桃色に染まり、汗が滲み出る。
「クノヤロオオオーッ」
「バッキャロオオーッ」
ぼく、思わず身震いし、手に汗を握る始末。参ります。

 

手加減はしない
 

去年の暮れから今年にかけて、女子プロレスの全日本ジュニアチャンピオン、立野記代を追いかけ、上州は前橋の市民体育館から千葉の公園体育館、はては彼女の実家のある栃木県は足利市まで足を伸ばした。
立野記代、一九六五(昭和四十年十二 月一日生まれ。十八歳。八一年にプロレス入り、八二年にジュニアチャンピオンとスピード出世。 身長一六五センチ、六五キロ。 わが女子プロレスはいま三度目のブーム だという。

 

最初は、マッハ文朱の登場(筆者、横浜体育館のリングサイドで観戦。彼女の躰(からだ)から発散する熱気に圧倒される。やがて引退し、タレントとしてカムバックするまでの間、ひっそりと田舎の温泉宿にこもっているという記事を「平凡パンチ」で読み、いたく同情した憶えがある)。
 

二度目は、ビューティ・ペアの爆発的人気(筆者、埼玉県上尾市まで出かけて立見席で観る。ビューティ・ペアの人気も凄かったが、筆者はひそかに十五歳の美少女・ ナンシー久美を贔屓。売店でレコード「夢見るナンシー」を買って帰る。ロリコンだ なあ。一方で姉御肌の赤城マリ子の華麗なレッグブリーカードロップも忘れがたい)。 そして三度目の現在、ジャガー横田、ミミ萩原、デビル雅美の三大リングスターを頂にして、ジャンボ堀、大森ゆかり、ライオネス飛鳥、長与千種、山崎五紀、ダンプ松本(去年まで本名の松本香を名乗って いたが、ことしからリングネームを付けた) ――とスターが目白押し。その数ある星々のなかで、ぼく、これまで誰に言うこともなく、立野記代を応援していたのであります。
 

彼女はどちらかと言えば受身型のレスラーである。
九五キロのダンプ松本に髪をつかまれて振り回され、マットに押しつぶされる。 

「キャァーッ ヒエーッ」
と悲鳴をあげ、徹底的に痛めつけられる。

 「試合時間、十分経過」
というリングアナウンサーの声が(シア イジクヮン、ジップンケークワッと聞こえ るのだけれど) 届くや、立野記代は突如、 攻撃に身を変え、
「クォンチクショーッ」
「バッキャロオオーッ」
この裂帛(れっぱく)の罵声を浴びせられると、ぼく、きっとわが日常を振り返り、反省の頭をたれるのであります。
立野記代の父親は、足利市で競馬場の厩務員(きゅうむいん)を勤めている。長年、女子プロレスのファンだった。記代が小学校四年生のとき 女子プロレスに初めて連れて行くと、彼女は異常に興奮し「私、将来、女子プロレス に入るっだ」と帰り道で何度もつぶやいたという。記代は、小学上級生になると、走り高跳びの選手になり、中学では県体に出場。母親は彼女がレスラーになることに最初は反対だったが、いまでは関東近郊で試 合があるときは、一家で応援に出かける。 兄一人、父親に習って同じ厩舎で仕事をしている。

 

女子プロレスラーたちは年間三〇〇日近く各地を大型バスで回り、試合を続けている。
「ほとんど毎日だから、どこがどこか判ら なくなっちゃう。同じような体育館ばかりで、宿舎との往復だけ。あとはバスでずっと移動して」
「洗濯なんかは」
「エエ、乾かないんですよね。洗ってから洗濯物を宿のシーツや浴衣でくるんで、足で一〇〇回くらい踏むんです。すると、たいていのものは乾いちゃう」
「デイトなんてヒマがないな」
「ハイ、三禁ってあるんです。男はダメ、酒はダメ、煙草はダメ。やったら即、クビなんです」
「厳しいなあ」
「キビシイですよ、ハハ、ハ」
「聞きにくいことを聞くんだけど、毎月の生理があるでしょう。支障はないのかな」

 「カンケーないわ」
「でも相手がそうだと判っても?」
「べつに手加減はしないんです。だって私がそうでも、相手の人はゼッタイ手加減なんかしてくれないから。かえって相手の弱いところを攻撃しますね、肩を痛めてたら、そこをわざと狙うんです」
「凄いなあ」
「アタリマエですよ」
「ギャラのことを聞いてもいいかな」
「ハッキリは言えないけど、普通のOLよ りもいいですね、フフ、フ。新人のうちは 月給だけど、プロテストに受かったら、一試合いくらで貰えるんです」
「一試合、いくら」
「それは内証です」

 

立野記代は、同僚のダンプ松本と都内で 同じアパートの部屋を借りて一緒に住んで いる。二人が対戦する日は「お客さんが喜ぶようなイイ試合をしようね」と話し合っ ている。
まことに、強い女は美しいのであります。
----------------------

 

ぶるちゃんねるの動画で、ダンプが脱走したときに立野記代が迎えに来た、という話がありましたが、ダンプと立野は一緒のアパートに住んでいたということから、ベビーとヒールでも仲が良かったのだと思います。だからダンプが脱走したときに立野が来たのでしょう。

 

いつから一緒のアパートか分からないのですが、少なくと1984年7月頃に引っ越すまではおそらく同じアパートだったと思われます。(エキサイティングプロレス1984年10月号に引っ越しについて記載されている)

 

ちょっと意外です。ダンプと立野って、傍から見ると接点が無いように見えるし、性格も目立ちたがり屋のダンプと引っ込み思案な立野という感じです。

同期でもないし、同じヒールでもない。なぜダンプと立野が仲が良かったのかはわかりませんが、ダンプは姉御肌なので、うつむき加減の立野と一緒だと疲れなかったのかなぁ・・とか、色々と考えられます。

 

立野との共同生活については、自伝に書いてあります。

「長女はつらいよ」より-------------

女子プロってあの有名な三禁のほかに売れない後輩時代は先輩のいじめとお金のないつらさが加わって、けっこう厳しいんだよね。肉体的にも精神的にも金銭的にも・・。寮に入っていても本当に貧乏で貧しいご飯食べてたりするんだ。

お金がないから寮を出たら一人で住めないっていう後輩と一緒に住んだりしたこともあった。私が一緒に住んだのは、立野記代っていう後輩。家賃はこっちのほうがちょっと多く出すから、そのかわり掃除と洗濯はやってねって感じで、楽しく暮らしてたよ。

---------------------------------------

 

 

 

 

この動画の5:00~のところで「立野記代が迎えに来てくれて」とダンプが話しています。