さてそれでは如何に石川県が九頭龍の神様と密接な関係が有るかを先に紹介した資料を用いながら、解説していきたいと思います。

①庚申信仰

庚申とは旧字体で北東、つまり丑寅の金神がいる方向です。庚申様の信仰は全国に見られ北東。つまり丑寅の金神様がどう見ても尊ばれたからでしょう。何故か今は鬼門にされているんです。おかしいなと気が付いて欲しいものです。

庚申様はそのもが信仰されていたのに、何故神社仏閣に一緒に有るか分からないという記述です。

私にはこれには思い当たる節があります。

一般市民まで広く及んだ信仰の迫害

正蓮寺大日堂入鹿神社こちら

明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めた。

 さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。

現在、残存する庚申塔の多くは寺社の境内や私有地に移転されたものや、もともと交通量の少ない街道脇に置かれていたため開発による破壊を免れたものである

明治政府が冬至の神でもあるミシャグチ、丑寅の金神様を毛嫌いしていた事が分かる出来事です。そしてそのパワーある方角を縁起悪いと嘘を言い自分たちの為だけに使ってきました。まぁある意味彼らには縁起悪いのかもしれませんが(笑)だって滅ぼしたり、名前すら消そうとしましたからね。余程当時恐れていた宿敵みたいなもんでしょう。

 

この記事で私が実際に取材した石碑も神社に有りました。他の記録によると神主さんとかお坊さんが、神仏の一種なのにと不憫に思い自分の敷地に持ってきて祭っていたという事らしいです。こういった聖職らしい優しい人々の気づかいによりミシャグチ様は現在再び息を吹き返す事が出来たのでしょう!当時のお坊さんや神主さんには感謝しかないですね。怖い思いを彼らはきっとしたと思います。

す~ぐに誰かさん達は自分らと違う神を信奉すると迫害してきますからね。

 

【木や石が御神体】

そして私が大切だなと感じたポイントは他にも有ります。それは上記の緑の四角で囲った部分です。

古代からのアミュニズムを感じますし、上記の様にミシャグチ様に繋がっている土地ですからそれも有るのだろうと思えないでしょうか?

神社には、盤座をそのまま保全しているところも沢山あるのです。普段は現代の神社信仰と考えてしまいがちですが、その後ろには様々な信仰を眠らせている事が多いです。

 

 

続きは→その②