~プロローグ~

( 'ω'o[土偶が私達に教えてくれる事 ]o

土偶の「地域」は東日本である。西日本に、土偶はほとんどない。
出土分布は東日本に偏っており、西日本での出土はまれである

こちらの有名な土偶の出身は青森県です。

写真ウィキペディアより引用

土偶の「時代」は縄文時代で、弥生時代になると極端に減る。
東日本には縄文人はいたが、西日本に縄文人はいなかった。
西日本は火山活動が盛んで、人が住めなかったことによる。


最初の土偶は板状だった
縄文時代中期から、立像になった。

【土偶にはどんなものが有るか実際に見てみましょう】
土偶が1万5千個ある中で「国宝」は、次の3つである。

①「縄文のビーナス」

茅野市の棚畑(たなばたけ)遺跡。1995年、国宝に指定。

長野県茅野市の棚畑(たなばたけ)遺跡。「尖石(とがりいし)縄文考古館」1995年、国宝に指定。
「縄文のビーナス」は、日本最古の「国宝」になった。美の極致「縄文のビーナス」は、縄文時代中期に生まれた。「縄文のビーナス」は、妊娠した女性。環状集落の中央広場から出土したことや、27センチと大きいことから、個人が所有するものではなく、安産と子孫繁栄の女神像だった。村の祭祀(さいし)に使われたとされている。


②「中空土偶」

函館市の著保内野(ちょぼないの)。2007年、国宝に指定

③「合掌土偶」

青森県八戸市の風張(かざはり)1遺跡。2009年、国宝に指定。

ここまでは、東日本全体の話ですよね?しかし私が今回お話したいのは、とある地域のグループなんです。

次に、諏訪地方の重要文化財の「土偶」を見る。

①「巳を載く神子」(へびをいただくみこ)。藤内(とうない)遺跡井戸尻(いどじり)考古館の絵はがきから。縄文時代中期。

ヘビが頭にいる。ヘビは男性のシンボルであったり、春になると出てくる生命力の強さでもある。へビは神であるともいわれている。後部に3か所、穴があって、鳥の羽をさしてあった。エジプトの王(ファラオ)は、コブラは守護神であり、王権のシンボルとして、頭につけたり、王冠につけている。ヘビを神とする共通を思わせる。

②「仮面の女神」

頭に中ッ原(なかっぱら)遺跡、縄文時代後期前半(約4000年前)「尖石縄文考古館」が所蔵、茅野市。2011年撮影

~以上~

 

「縄文のビーナス」茅野市の棚畑(たなばたけ)遺跡「巳を戴く神子」頭に藤内(とうない)遺跡「仮面の女神」中ッ原(なかっぱら)遺跡


 以上三点は、八ヶ岳のふもとにある。

「棚畑遺跡」⇔「中ッ原遺跡」は、車のメーターで4.7キロ、
「中ッ原遺跡」⇔「尖石・与助尾根(よすけおね)遺跡」は、車のメーターで4.6キロ、
「尖石・与助尾根遺跡」⇔「藤内(とうない)遺跡」は、直線距離で15キロ。

~以上~

 

 ふぅん近いのね?だから何?と思ったそこの貴方様・・・・実はこれ面白い事につながっています。詳しい方はご存知かもしれませんが、教科書ではそういう書かれ方はしていません。しかし、ニュートラルにして読むと。( 'ω'o[ なるほど!]oと思うはず。

 

【縄文の土器が語っている事とは何か?】

「全ては西から始まった」と有りますが、実はこれがスピ誘導連中の大きなまやかしだったんです。当然縄文時代より前の人間なら大陸から流入した可能性は高いのですが、今回は日本国内の遺跡という証拠が有る独自の文化に限定した事を申しています。

( 'ω'o[ 日本の文化は太陽と共に東から昇ったのである ]o

という事実にどれ位の人が気が付くでしょうか?

縄文と古代文明を探求しよう様から資料をお借りしました→こちら

言うまでもないですが中期までの部分に注目し下さい。関東しかないことに気が付くはずです土偶の数は中期(約5000年前)から急増し、出土地域はほとんどが東日本です。都道府県別では岩手県2152個(21.5%)、長野県1140個(11.4%)、山梨県938個(9.4%)となっています。全期を通じて西日本(近畿以西)での出土数は502個(5.0%) 、うち熊本県が216、奈良県が195と両県で西日本の出土数の約82%を占めており、偏りが見られます。

~以上~

 

このサイトさんのコンセプトは、

「いったい、人類はどこで道を誤ったのか?人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている」

だそうですが、まさにそうなんです。その事を、たかちほからもはっきりと提示していきますね。まず上記の場所にご注目下さい。

岩手県 

古事記における天照大神の天岩戸伝説について、天照大神=卑弥呼、天岩戸伝説=皆既日食と推定すると・・・・・実は卑弥呼が死んだとされる248年の皆既日食は岩手・・・研究者によってはずれても少なくとも岩手周辺の東北であるという説がある。

しかし少なくとも言えるのは神武東征なんかよりもっと前に既大きな文明が東に築かれていた事がわかる。天皇関係が日本の始まりだなんて嘘をつかないで欲しいです。これだけの物質的な事実が色々あるにも関わらず図々しくマスメディアがその説を示すとは・・・・つまり一蓮托生(利権集団)と言われていも仕方の無い事でしょうね

長野県

福岡志賀島を根拠地とする安曇族は、日本中に交易拠点を作っていったとする説があります。そして安曇野に一大拠点を築いたと。それは黒曜石による一大交易センター諏訪の近くに、拠点を持ったということです

山梨県 上記同様 縄文文化のメッカである

 

土偶は全期を通じて西日本(近畿以西)での出土数は502個(5.0%) だけ有りますが

熊本県 立神社 九州には邪馬台国説

奈良県  邪馬台国説  箸墓古墳

だけです。

さて・・・・・これらの土地にほぼ共通する事って何でしょうか?

そして、この時代一体どういう人が活躍していたのでしょうか?

これだけの物質がきちんと残っていますよね?という事は、たかちほの言っている事の方が軍配が上がるでしょうね。

文部科学省はそろそろ教科書書き換えたら如何かなW?

【事実縄文時代の一大サークル文明というものは富士山から始まり長野県川上村で途絶えているのは研究者の知るところなのです】

さて、皆様には順を追って段々にジワジワと理解を深めて頂くために、この記事に書き加えて再アップしていきますので楽しみにしていてくださいね♪

 

そして・・・・上の図から気が付く事が無いでしょうか?うん?|艸゚Д゚| ナヌ!!

実は・・・・・・

                         ウィキペディアより引用 フォッサマグナ地域

この三角の地点は最終的には一体どんな結末を迎えるのでしょうか?

この三角の頂点は・・・・穂高神社です。海人の拠点。この時点で私はそこまで知らないで出掛けていますから、まさに記事を書かせ為に招かれたと思っています。

 

続く