【上野村に有るもう一つの高天原】
実は群馬県上野村には「高天原」と呼ばれている場所はもう一つあります。場所は日航ジャンボ機墜落事故の慰霊施設である「慰霊の園」付近から、中越沢という沢に沿って南へ約2キロの所にある「生犬穴」という洞窟の中です(残念ですが、この洞窟は現在は立入禁止となっています)。
【何千年の歴史のあるニホンオオカミの住処】
小さな穴として従来から知られていたが、ヤマイヌの棲み家であると信じられていたことから命名された。内部に高天原や天の安河原などと名づけられた場所がある。
【洞窟の内部の構造全体が知られたのは実は新しい歴史】
1929年(昭和4年)に奥へと長く続いていることが発見された。
1929年に地元の青年らによって発見された鍾乳洞。洞窟内には多数の狼の遺骨が発見された。狼たちの長い間の住処であった。
しかし、その後探検時に松明を焚いて天井が煤けたり、鍾乳石や置いてある狼の骨等持ち去りが相次いだ為。残念な事に現在は進入禁止。
【現在では入道禁止ですが入り口までは近寄れるし中を覗く事は出来ます】
現在では、外から覗くだけだけしか出来ません。慰霊の園の入口近くにある中正寺前には生犬穴記念碑があります。急斜面の露頭を登れば、生犬穴をより近くで見ることが出来るようにはなっています。
【上野村の狼伝説】
この鍾乳洞はヤマイヌ(ニホンオオカミの明治時代頃までの呼び名)が住処と利用しており、繁殖期になると餌を求めて人里に現れては家畜を襲った。困った村人達は小豆飯(赤飯)、餅を供えて家畜の無事を祈る様になった。その後、家畜を襲わなくなり、毎年お供えをする習慣がありました。この行事は「お炊き上げ」と呼ばれている。お炊き上げはお犬様信仰が根強い場所では行われており、特に埼玉県秩父市の三峯神社では御炊上祭として今も尚、毎年10日、19日に行われています。
同じ埼玉県長瀞町の寳登山神社でも行われています(毎年7日早朝)。この様にお犬様信仰があった故に「おいぬあな」と呼ばれる様になった。昔からそのような話はあったのだが、昭和04年08月02日、コウモリを探して山で遊んでいた小学生から「水滴の滴り落ちる様な音を聞いた。」という話を聞いた大人が、上野村で有名な洞窟不二洞の様な場所があるかもしれないと考え、その場所を訪れ調べてみました。最初は小動物が入れる位の穴でしたが、粘土質な土を取り除いたら人が這いつくばって入れる様な穴が開いていました。そこから約3m位の場所から大きな洞窟になっているのを発見されたのです。
しかし、これ以上の探索は個人では難しかったので一旦作業をやめて村人にこの事を伝えた。すると翌日、村人約50人が集まって探索が行われ、生犬穴の全貌がどうなっているか?という事が分かりました。
発見当時から国の天然記念物に指定される昭和13年12月14日前までは誰でも入れる様になっていました。発見当時の洞内は石筍、石柱が無数に立ち並び、神秘的な光景が広がっていたと言われており、前述の多数の獣骨を含む様々な点から学術的価値が高い物と評価されていた。しかし、前述したように入洞者による洞内にある物(鍾乳石、石筍、獣骨等)が持ち去られたり、テンカラや松明の煤で汚れる等によって、発見時の神秘的な光景を傷付けてしまう事になってしまいましたが、それでも神秘的な光景は残されている様です。しかし、ニホンオオカミの貴重な研究資料になっていた可能性がある獣骨は殆ど全てが散逸してしまいました。
かつて居たニホンオオカミの痕跡があった素晴らしい場所だったという事がこの内容からも感じ取れますね。
【あの有名な三峰神社の狼もここからやってきた!】
地図で見ると分かりますが、案外近いんですよね。
ちなみに秩父の三峰神社秩父山中に住みついていた狼を「お犬さま」として崇めていたがこれは上野村にかなりの数いた狼が秩父に移り住んだと言われている。
私が雲取山周辺に●を付けた理由は三峰の狼の居場所はこっちだからですね。その理由はこちらに書いてあります。
大分一般に言われている事と違うので刺激が強いので?有料にして書いた記事ですね。
~以上~
【縄文のイメージが広がってきますよね?】
川上村は縄文時代が最後に滅びた場所だと遺伝子や遺物などから明らかになっていますが、その最後の狼を伴った女神が居た場所という図。貴船の女神の白狐の絵とかのモチーフを感じますね。三峰の伝説上でも旅の道中を狼が守ってくれた話。
犬が飼われた古代のイメージが浮かびませんでしょうか?
前回の記事でリブログした方のコメントも有りましたように神庭洞窟の有る秩父というのは、縄文の生き残りと言われるサンカの方々の縄張りでもあったとも言われています。建物もあったのでしょうが、洞窟もそのまま利用する(狩の拠点として等)という風習もあったという事でしょう。教科書の石器時代の原始的な書き方は大きく間違っていると思いますが(笑)ピラミッドが創建できる文化なので。
神庭洞窟の様子です。一万2千年前から利用されたと言われています。縄文の住処です。
三峰神社(上野村の狼が来たと言われている狼が祀られている)そこかすぐ近くに縄文の頃から利用されていた神庭洞窟がある。雲取山方面に実際の狼の居場所が封印されている場所があります。
特に、上記の有料記事を読んで頂いた方は分かるかもしれません。縄文は明らかに封印されていると思いませんか?川上の姫と言い、すべてにおいて。