迫害というよりこれは国防の為だとわかります

 ~大義を守るためには良からぬ動きは制御しなければいけないと思います

 
たかちほは日ユ同祖論と書いて以下のように読み解きます。
どちらにしても仏教や、土着の日本の自然信仰の方が歴史が古いですから・・・

 

○東京書籍……

「秀吉は、九州を従えたあと、長崎がイエズス会に寄進されていることを知り、日本は『神国』であるとして宣教師の国外追放を命じました(バテレン追放令)。キリスト教の布教が、スペインやポルトガルの侵略政策と結びついていたことを危険視したのです」(99頁)

※人には分け与えよWというのは、万が一悪用するならジャイアン的国家にに都合の良い教えである事も否めないと思いますね。

 

○帝国書院……

家康のキリシタン追放の理由

、「キリシタンの急増が、スペインやポルトガルによる日本の侵略のきっかけになると考え、……キリスト教を禁止し……」(99頁)。
○育鵬社

①単元「27 豊臣秀吉の政治と外交」

バテレン追放令により宣教師の国外追放を命じ、キリスト教を禁止しました。イエズス会による布教が、ポルトガルやスペインの植民地化政策と密接につながっていることを危険視したためでした。」(96~97頁)

徳川家康

江戸時代の初めのころ、キリスト教は強い取りしまりを受けませんでした。しかしその教えは、幕府が求める道徳や、わが国の慣習と合わない点が多くまた、キリスト教はその地域の植民地化のために利用されているという実態もありました。そこで幕府は、キリスト教を禁止する方針をかため」(104頁)。
③備考……「島原・天草一揆と鎖国」の小見出し下、「スペイン・ポルトガルなどが世界各地に植民地を広げているなかで、
鎖国はわが国の独立を守り、平和を維持するための政策でした」(105頁)

 

○自由社……

①秀吉のキリシタン追放の理由……明確に書かれる

ただし、秀吉は、貿易による利益を重視して、南蛮商人の来航は引き続き認めたので、キリスト教の禁止は徹底しなかった。そのころ、フィリピンを拠点にしていたスペインの宣教師の間には、キリスト教を広めるため、南アメリカで行ったのと同じように、中国や日本を武力で征服する計画があったといわれる。」(114~115頁)

②家康のキリシタン追放の理由
オランダとイギリスは、……競争相手のスペインなどが、キリスト教を広めて日本を征服しようとしていると幕府に告げ口した。幕府は、1612(慶長17)年、幕府直轄領にキリスト教禁止令を出し、……」(123頁)。
~以上~
 
 
○育鵬社

しかしその教えは、幕府が求める道徳や、わが国の慣習と合わない点が多く

~ここがとても印象に残りましたね。確かにそうです~

 

王 仁三郎さんの目的は達成されないでしょうね。

三千年の世は元来仏教の言葉です。

もっと日本の坊さんたちしっかりしてくれ!て思います。もっと自分達の事を誇りに思って欲しいです。歴史ある日本に我々は生きているのです。

考古学者が話を変えて・・・海底遺跡見つかっても最初は一万年前以上と自ら診断したくせにW三千年に変更(笑)

記紀に合わせているって丸わかりですよ。学者として恥ずかしくないんですかねw?

皇紀にしておけば、権力者と丸く収まるしね。