前回は→その8
蓮如上人の館様より参照
吉崎御坊建立から2年、蓮如上人は養生の為、山中温泉へ行きます。
養生する為に行ったのですが、こんな記述が残っています。
「文明五年の九月中旬、御養生のためとて、加州山中に湯治したまうに、かしこの道俗つどい集て、御化導に預れり」
(蓮如上人縁起より)
※湯治中でも、完全に休むという事なく、温泉宿に集う人々を教え導いたという事です。
仏教を広める事に非常に真面目だった様子が伺えますね。
【温泉にたどり着くまですら大変な蓮如】
吉崎から山中(石川県)温泉は、北陸道経由で15キロ程の道中ですので。ストレートに行けばまぁ普通に着く距離なんですが・・・・・
しかし、そこは、大注目だった蓮如ですので非常に困難な目に合っていたのです。
吉崎からご出発直前、天台宗の僧兵たちが待ち伏せしているとの知らせが入って居ました
!∑(゜∀゜)えっ!何ですか?僧兵の待ち伏せって??????
こんな者が待ち伏せていたら蓮如でなくとも嫌ですW
ごっついですよね~僧兵:弁慶が有名ですよね
理由は以下の事でした。
かつては、天台宗の豊原寺や平泉寺など大きな勢力下にあった越前(福井県)も、蓮如が布教を始めると直ぐに、本願寺に転派する寺が続々と現れました。
蓮如は彼らの怨嗟の的に。やがて、怒り心頭に発した僧兵たちは、蓮如の命を執拗に狙うようになって行きました。
※(  ̄っ ̄)ムゥ 大人の嫉妬ってみっともないですね。
弟子の一人が進言しました。
それは元豊原寺末寺の住職なので、地元の地理に明るい円慶房でした。
「遠回りですが、敵の意表をつき、豊原寺の裏山から大内峠を越え、山中温泉に行かれてはいかがでしょうか」
円慶房の言う通りに、蓮如上人は、山越えの道を進まれました。現在の国道364号線を、丸岡町(福井県)から山中町に向かうルートです。つづら折りの急坂を上り切ったところにある大内峠から、蓮如上人は、ふもとを一望されました。
美しい景色がパッと広がるはずが、一瞥する間もなく目に飛び込んできたのは、
ふもとから急追する僧兵たちの一団です。
一大事!(;゚Д゚)!です!どうしよう?
イラストは歴史探訪さんより参照
【蓮如が狙われた理由】
蓮如上人が吉崎を拠点に布教を始められるや、豊原寺や平泉寺など天台宗の大寺院の勢力下にあった末寺が、上人を慕い、次々に改宗した。
怒り心頭に発した天台宗の僧兵たちは、山中温泉(石川県)へ向かった蓮如を追いかけ、道中命を狙ったのだ。
~以上~
案内役の円慶房は房峠で僧兵たちの姿を確かめると、すぐに近くの村のおさよ婆さん宅に駆け込みます。
婆さんは早速、裏の麦わらの下に一行をかくまい!
家の前にござを敷いて麦を打っていました。
資料:室町時代の農業より
やがて、ドカドカと駆け込んできた僧兵が、おさよ婆さんに詰問します。
「おい、婆さん、ここを、蓮如が通らなかったか」
「おい、婆さん、ここを、蓮如が通らなかったか」
「お坊さんたちなら、川下へ行かれたよ」
「疑うんなら、どこでも捜せばいいじゃないか」
僧兵は家捜ししますが、見つかりません。やむなく、急いで川下へと走り去っていきました。
上人は、間一髪、危機をまぬがれ、以来、数日間、おさよ婆さんの
案内で、般若岩と呼ばれる洞窟に身を隠されることになりました。
※『ある意味身内でもない赤の他人をそこまで守る』
どれだけ蓮如の人柄が一般民衆に愛されているのかわかる感動のシーンだと思います
(。>ㅅ<。)このお婆ちゃんのお墓には以下の記録が残されています。
【雨にも負けず・・・風にも負けず・・・・】
大内峠から2キロほど下った国道沿いに、おさよ婆さんの墓があり、その碑文には、こう書かれています。
「蓮如上人、越前豊原の僧徒に追われたまい、大内の鈴村家の麦打ち中、その場の下へ飛び込ませられたり。間もなく僧徒押し寄せ、家捜しいたせども、さらに気づかず引き返せり。それより、おさよ婆、上人をこの上の般若岩にご案内申し上げ、荒れ狂う雨の日も分け登りて、朝夕食事を運びて、お仕え申せり」
※お婆ちゃんの蓮如への思いがとても伝わる描写ですね。
般若岩は、蓮如上人法難の場として、長く大内村の人々によって
死守されて来たそうです。毎年、欠かさず、法要が勤修され、上人のご苦労をもしのんできました。
しかし残念な事に昭和58年、廃村に伴い、廃れ、今は、来訪者も皆無と言います。
【因みに正確な場所は・・・・】
石川県加賀市山中温泉大内町364号線沿いにある簾滝
般若窟とは、この「簾滝(みすたき)」を登ること1500m
幅27m、高さ6m、奥行10mの洞窟。
お婆ちゃんは、この般若窟に匿(かくま)い、風雨霜雪を冒して三度の食事を運んだ。然し、入山搬入していることが、発覚する恐れから、ワラジを反対に履いて通ったと云う。
※お婆ちゃんだから足元弱かったろうし、反対に履いたら、歩きにくいよね(´;ω;`)いやぁお婆ちゃんは浄土真宗にとって英雄だよ。命懸けで親戚でもない赤の他人の坊さんの命を守るって単純に考えても大きな愛の持ち主じゃないと出来ません。
やがて難を逃れた上人は、洞窟を出られ山中方面に向かわれた。
御札に六字尊号(そんごう)を、この婆さんに書き与えてその労苦をねぎらわれた。
因みに六字尊号(そんごう)ってこういう品の事。
画像参考:古美術わたなべ様販売のものです
また、この般若窟の岩肌に生じている人体の型の凹所は蓮如上人の寄りかかった痕であると伝えられる。不思議な痕跡(こんせき)ではあるが、この地訪ねる人も多い。
平成十四年六月 大内村誌より~以上~
大内町に行くと、国道沿いに上のような説明が書かれた案内板があって、般若窟へ行く登山道もあるそうです。でも今はあまり整備がされてなくて、歩くのに苦労するだろうなぁとご住職の春木さんが述べているそうです。
石川県の方見たこと有りますか?この洞窟???
たかちほ超見てみたいですここ!
何か蓮如さんの想念が残ってるような気がするんですよね~
この洞窟入ってみたいな。でも登山てことは山に登らないといけないのかなW?
どなたか行った事ある人、近所の方是非情報くださると嬉しいです。洞窟の写真がありませんでしたので非常に気になりました。
お次は、吉崎御坊は残念ながらそんなに長くは続かなかったんです。
人の醜さ。そして人の愛・・・全て覆い隠さず書いていくので是非ご覧くださいね。
続きも必見ですよヽ(´▽`)/
続きは→その10