前回は→その8


ジョン・ハーヴェイ号に積載されていたマスタードガス~

抗癌剤の使用はイタリアの悲劇がきっかけである

( 'ω'o[ 時は1943年12月2日]o

イタリアの連合国側の重要補給基地であるバーリ港にドイツ軍は爆撃を仕掛けたのですが、その結果輸送船タンカーを始めとする艦船16隻が沈没したんです。

写真:ウィキペディア英語バージョンより

その破壊された16隻の船の中の一つ「ジョン・ハーヴェイ号」の中には大量のマスタードガスが積まれており、漏れたマスタードガスがタンカーから出た油に混じったため、救助された連合軍兵士たちは大量に被曝してしまったんです。

実はマスタードガスにとって油というのは理想的な溶媒の状態です。


しかし、まずい事に貨物の一部は爆発し、煙と炎をあげ、マスタードガスの蒸発した雲が出来上がってしまったのです。


( 'ω'o[浴びた時には気がつかない恐ろしさ ]o

悲劇は続きます・・・・

医療スタッフは爆発や火災による負傷者に、その対応を集中させた。

何故なら・・・・

そのため、単に油にまみれただけに見えた者はほとんど注目されなかった。


 低濃度のマスタードガスにさらされた多くの負傷者は、単純な入浴や衣類の着替えで症状を軽減できる可能性があった。

しかし、水から引き上げられた船員達の負傷者は、マスタードガスの存在を知らされていなかった。


たかちほは、このガスの毒性を分かりやすくする為、時間の進行と共に移ろう患者の状況を時系列順にまとめます


①被爆被害の翌朝の即死

兵士たちは目や皮膚を侵され、失明や化学火傷が現れた。

重篤な患者は血圧の低下、末梢血管の血流の急激な減少などを経て白血球値が大幅に減少。

結果、被害を受けた628人中83名が次の日までに死亡

②二、三日に再び死者の数が増え出す

ところが・・・・一日あたりの死者の数を見ると、被害後2日目、3日目に最初のピークを迎えたと記録が有ります(イペリットによる直接の死者)

③8日、9日後再度のピークが来るんです

(白血球の大幅な減少による感染症)を迎えた。


( 'ω'o[ 兵士だけではなく、庶民も被爆]o
マスタードガスの蒸発した雲が吹き込んだ市街にいたために中毒を起こしたイタリア民間人数百人が治療を求めて殺到したことから、事態はさらに混乱することとなった。


 この医療現場の混乱に対し、アメリカ合衆国軍司令部は化学兵器の存在をドイツ軍に対し秘匿しておきたかったため、これら犠牲者の症状の原因に関し利用できる情報を制限していた。


 このため、ジョン・ハーヴェイ号乗組員のほぼ全てが死亡し、救急隊員の「ニンニクのような」臭いがした記憶があったのでそれが原因となったものではないか、という説明は役に立たなかった。


謎の症状についての説明のために、副軍医総監フレッド・ブレッセは化学兵器の専門家のスチュワート・フランシス・アレクサンダー中佐を派遣した。アレクサンダーは、空襲を受けた時の犠牲者の位置について慎重に集計し、ジョン・ハーヴェイ号の積荷のアメリカ合衆国軍 M47A1爆弾の容器の破片のところで、マスタードガスが原因物質だと突き止めた。
その月の終わりには、入院していた628名の軍人の内83名が死亡した。


上の人数が不正確に見えるのは、隠したかったという事情から、正確な記録は無いと思われるという事と・・・

民間人の犠牲者数は、その多くが親類の避難先を求め市街を離れたため、正確に数えることができなかった 。
~以上~


しかし・・・・こんな恐ろしい事件が、抗癌剤として使用するという判断材料になったから驚きです!


一体どうしてか????

長くなりましたので、次回に行きます(´・ω・`)



続きは→その9