【差別と区別は違う】
もちろん、人を見下したり、弱い者いじめをする様な差別はいけないでしょう。
けど、事には善悪が無い訳じゃない。
その判断基準も人によって細かい所ではそれぞれなんだけど・・・・。
昨今のスピチュアル系の「何でも繋がれば良い。誰でも仲良くすれば良いは」絶対違うと思います。
私はそいうお目出度い事を前面に押し出してる事が多いので、だからスピチュアル系が大嫌いなんです。はっきり言うと。
「朱に交わると赤くなる」「君子危うしに近寄らず」という言葉が何故有るのか考えるとわかると思うんです。
どんな人と関係するのか?とか・・・どんな場所に出入りするか?は非常に重要だと思いますよ。
だって、相手は自分を映しているとも言えます。
類は御友達という物でしょう。
例えば、犯罪グループの仲間と貴方は仲良く出来ますか?
「何でも受け入れる」と言うならそいう人達と毎日一緒に生活してみてください。結婚してみてくださいって言いたいです。
私は、そいう無警戒な発言を繰り返すなら、ちょっと頭がお花畑かな?と思ってしまいます。
それか、何の苦労もなく他人を疑った事のない幸せな育ち方をした方なのかな・・・と。
私は「悪に親しむのもまた悪である」という考え方は譲れませんね。
実際、悪い思考のグル―プは固まってます。
例えば、不安煽りグループとか、人に迷惑をかける人間が大量に集まってるとか・・・・。
人生はそんな綺麗事では無いですよ。
怪しい人は遠慮なく退けないとね。オレオレ詐欺とかに平気で合う世の中ですから。
そして、覚醒している人。A氏の様な人は人知れず努力しているんです。
お釈迦様だって、ただ寝っ転がって、色々な事を悟ったわけではないでしょ?
我慢大会見たいな苦行には御釈迦様は反対してますが・・・。
そうかといって、怠けてて良い成果が産まれると思ってるのは、はっきり言って甘いと思います。
勉強もしないで受験に受かろうと考える人と同じだと思います。
しかし・・・。人は耳心地が良いものが好きです。
だから、おおよそ、それはあり得ないと思う物でも自分に都合が良ければ信じてしまうのでしょうね。
「何でも許される」は無いでしょうね。
許してもらえても、それはそいう世界に行くだけだと思います。
似た者同士が集まって行くだけです。
多くの人が見てるからとか(そいうのだって、散々言われてきたはずです。)上っ面の事に惑わされたりせずに、自分を見失わないで、正当に物事を評価出来る人は騙されない筈です。