前回は→その7          最初からは→その1




今日はこの話しを進めるのに当たってどうしても避ける事の出来ない。


「田村麻呂ちゃんのルーツ」について述べて行きたいと思います。


田村麻呂ちゃんの苗字は坂上・・・そうです・・この坂上氏に実はあまりクローズアップされない秘密が有ったのです。


 4世紀後半に百済から渡来した阿知使主(あちのおみ)を祖とする渡来系の氏族「東漢氏」の一族で檜隅から高取町域(両方とも奈良県)に定着し、その後多くの氏に分裂し、それらの氏は住みついた所の地名を氏として、それぞれ発展していきました。
  

 ※坂上氏は、高取町大字観覚寺(かがくじ)小字坂ノ上(坂ノ山ともいわれています)一帯に居住し、坂上氏と称して飛鳥時代から平安時代にかけて武門の氏族として発展していきました。姓は始め直(あたい)、682年に連(むらじ)、685年に忌寸(いみき)、764年に大忌寸、785年に大宿禰(おおすくね)と改姓しています


朝鮮半島からやってきた、渡来人は、さまざまな大陸文化を日本にもたらした。


阿知使主(あちのおみ)」について

東京大学受験日本史研究会さんのHPより→こちら


「古事記」「日本書紀」には

西文氏、東漢氏、

秦氏の祖先とされる王仁、安知使主、弓月君

~以上が引用~


はいヽ(^。^)ノ出てきました秦氏が祖先という事です。

つまり田村麻呂ちゃんはヘブライだと思います。


あとはこんな話しも

浄土宗に詳しい方なら御存知かもしれませんが。

法然上人についてのお話しです。情報の一例としてこちらのHP様が解り易かったです→こちら
生没不詳

法然上人の母秦氏の祖は仁徳朝阿知使主が率いた漢民で、技術にすぐれ綾錦(あや)の姓を賜った。このとき秦の一族は綾錦の長となり、部民を率いて美作国久米郡に移った。法然上人の母はその一族から出た人といわれる。(浄土宗大辞典より)


この記述も、田村麻呂ちゃん=ヘブライという事を暗示している感じです。


でね・・・面白い事に・・・

父親の刈田麻呂(かりたまろ)は、陸奥鎮守将軍、安芸守(広島)、丹波守(京都)、越前守(福井)、右衛士督兼下総守(しもふさ)兼左京太夫などを歴任し、従三位の地位まで到達しました。また娘を天皇の後宮に入れ内親王が生まれています。刈田麻呂は大和国高市郡(たけちぐん、現在の高市郡・橿原市のほぼ全域と大和高田・御所両市の一部)の郡司(ぐんじ)に同族の檜前忌寸(ひのくまのいみき)を任命されるように上奏し認可されており、譜第の高市県主(たけちのあがたぬし)を差し置いて同族を郡司にできる力を高市郡におよぼしていました。


陸奥ってどの場所?

福島県、宮城県、岩手県、青森県、秋田県の一部


たかちほむらのブログ

この地震て田村麻呂の呪いだったのでしょうか?赤いところがそっくりですね。

くわばら~

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