前回の記事-その9     最初からは→その1



ウィキペディアより引用→こちら

西暦1940年(昭和15年)が神武天皇の即位から2600年に当たるとされたことから、日本政府は1935年(昭和10年)に「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、橿原神宮や陵墓の整備などの記念行事を計画・推進した


「神国日本」の国体観念を徹底させようという動きが時節により強められていたため、これらの行事は押し並べて神道色の強いものであった。橿原神宮の整備には全国の修学旅行生を含め121万人が勤労奉仕し、外地の神社である北京神社、南洋神社(パラオ)、建国神廟(満州国)などの海外神社もこの年に建立された。また、研究・教育機関では、神宮皇學館が旧制専門学校から旧制大学に昇格した。


日本政府は、日本が長い歴史を持つ偉大な国であることを内外に示し、また日中戦争の長期化とそれに伴う物資統制による銃後の国民生活の窮乏や疲弊感を、様々な祭りや行事への参加で晴らそうとしたこともあり、1940年には、年初の橿原神宮の初詣ラジオ中継に始まり、紀元節には全国11万もの神社において大祭が行われ、展覧会、体育大会など様々な記念行事が全国各地で催された。

~以上が引用です~


そして何よりこれ・・・・

ウィキペディアより→こちら

たかちほむらのブログ
このオカメインコの赤ほっぺの様な可愛いカラーリングの飛行機は一体何でしょうか?


そうです・・・・マニアも居る『ゼロ戦』

確かに見た目が良いので何かわかる気もしますが・・・


実はこの『ゼロ戦』の名前の由来は。


~以下は引用です

ゼロ戦」という通称で知られている大日本帝国海軍の「零式艦上戦闘機」は、この皇紀2600年(西暦1940年)に採用されたことに因んだ名称である(軍用機の命名規則により、正式名称は皇紀の下2桁を冠する規定による)としている。

~ウィキペディアより引用→こちら


つまり皇紀2600年の00の部分をとって『ゼロ戦』または『零式艦上戦闘機』というのです。


この頃の事を調べると、全国各地で記念植樹をされたそうで、八王子城跡の記念碑もそれだと思うのです。


戦争は勿論絶対やっては駄目です!飛行機も戦争に使って欲しくないですという事は大前提だと私は言いたいです!


しかし私がここで指摘したいのは、日本は長い歴史と文化を持つ国で、それは他に類を見ないという事を余りにも亡き者とされてきたというおかしさです!


事実戦時下では上の赤い字の部分

日本が長い歴史を持つ偉大な国であることを内外に示し

という意味合いで、この皇紀というのは最も大事なものだったのでしょう。


日本は長い歴史と文化に恵まれた国なのです。

日本の文化は長きに渡って脈々と受け継がれてきた大事なものであるという事をこの皇紀は現してるのだと思います。


そして八王子城の不可思議な写真の掲載に戻ります。


山を下る時に撮影したものは驚愕する様な写真の数々でした。


その写真とは・・・?



続きは→その11