全ては導きのままに・・・・



友人の誘いのまま、行ってみるとそこには阿鼻叫喚の地獄の気配を感じたので撮影しました。

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内容は、こんな感じになってます。はっきりしてるものを代表して解説すると、着物を着た女性が叫んでます。その下の黄色い丸の所には、青ざめた少年の顔が有ります。

そして至る所にちりばめられた苦悶の表情の数々です。


私はいつも幽体の写真掲載は控えて居ます。

今回はわざと載せます。


それは、実は今までの行動に、とても縁が深かった事と、今では聞かなくなったこの地に眠る龍の話しがしたかったのです。


そして・・・・戦争をするとこれだけ悲惨で、何の罪もない非力な人々がどれ程苦しむかを私は色々な人に改めて知って欲しい。


そんな思いから、この幽霊とお話をして、掲載をお願いしました。


この地は、どういう場所かと申しますと・・・・実は全国的に有名なお化けスポットでもあります。


そして日本名城100選の貴重な土地でもあるのです。


ここで起きた事を、簡単にお話をしますと

『豊臣側は前夜のうち霧をぬって主力が東正面の大手口(元八王子町)・北側の絡め手(下恩方町)の2方向より侵攻し、力攻めにより早朝には要害地区まで守備隊を追いやった。その後は激戦となり1000人以上の死傷者を出し、一時攻撃の足が止まった。その後、絡め手側別働隊の奇襲が成功し、その日のうちに城を落とした。

 

 氏照正室・比佐を初めとする城内の婦女子は自刃、あるいは御主殿の滝に身を投げ、滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられている。城代の横地監物は落城前に檜原村に脱出したが、小河内村付近にて切腹している。』


この話しを聞いただけでも歴史好きの人、あるいは、怪談話しの好きな方は、どこの城かすぐに気が付くと思います。

それだけ有名な場所ではあるのです。


この写真は因みに滝より、ちょっと下がりますが相当近い上流です、上流一帯が血に染まった話しも有りますので、ここには十分苦悶の意識が眠っているのでしょう。


この話しは連載にしますので。

どうか、お付き合い頂ければ幸いです。


高野山の話しもまだ残っていますので・・・(もう二カ月経ってしましました(笑)分杭峠がそれ程凄かったという証です)


どちらを先にするかわかりませんが・・・。感性で決めて行きたいと思います。


それではこちらのシリーズも宜しくお願いいたしますm(__)m